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待ち時間に昭和レトロな喫茶店で思い出したこと

今日はもう春爛漫みたいにあったかい火曜日。
マガジンで書こうかなと思ったんだけど、そうするとみんなお金払ってまで私に貢献する奇特な人はあまり居ないから、みんなに読んで欲しいから無料にしちゃう。
いや、ほんとは、そういう話こそ、一部の人が、
続きが読みたい!と思うような文にしなきゃならないのに、自信のなさでこんな感じ。

もし、登録してくれる人がいたら助けてくださいな。
隊長と私のために。

さて、先日、Facebookでも紹介したのだが、久々に自分に問いかけをされてるような、心抉られるような作品に出会ったんで、その話をするね。

本屋大賞を取ったこの作品。
内容はごく単純な話なのだが、
全般的に

「普通」とはなんだろう?ということを問いかけられている。
普段自分が思っていることが、常識というならば、
じゃあ、その常識そのものは、当たり前なのだろうか?
普通なのだろうか?
いや、まてよ、そこ
どうなの?
と、私自身が迷宮にハマるほど、打ちのめされましたね。

とかく私たちは自分を主軸にするので、それと違うものは、
異質であったり、哀れみの対象であったり、または、羨望や恨みの対象に姿を変えてゆくわけで、
じゃあ、そもそも、その、
主軸はどこにある?

私自身ならば、それはやはり私の主観でしかなく、公ではどうなのか?

民主主義だからね、みんなが黒なら黒なのかもしれない

でもね!って言うところを刺してくるのだよ。

とてつもなく不幸に陥る人間がいて、普通に育った人がいて、

普通の人は普通の認識でも、不幸の上に成り立つ人生から見たら、羨望や、恨みの対象に。
もちろんそんなの間違ってるんだけど、
そこを説教する権利は、あるのか?
あるのか?と、作中の言葉で、私自身も烏滸がましいことを随分と言ってきたかもしれないと思い直しましたよ。

あなたはただ運が良かっただけ!


と叫ぶ不幸な女性。それも正解ではないけど、そう言う気持ちを持たないと、やりきれなかったのかもね。

自分が落ちて行く途中で、軌道を正してくれる人に会えなかったのは彼女の不運なのかもしれないな。

まぁ、物語はあっという間に読み終えられるが、出てくる人たちの普通と、普通ではない日常が、こんなに周りに溢れているんだと、私はとても感動しました。

ぜひ読んで欲しいね。

さて、それから数日、今日、鑑定待ちの間に入った喫茶店で、
うちの母親になんとなく似てる人がいましてね
私はうちの親は毒親だなと、何度も思いながら生きてきたのだけど、最期は弱々しくなったし、そう言うこともどこかに流されて行くのが親子なのかもと思うので、今は特に甘い出すことも無くなったのだけど、
なぜか不思議に思い出したことがあり

あー、あの本を読んだから呼び覚まされたのだろうか?とも思えて、参考までにその話も追加するね。

うちの母は、貧しい家からの出身らしいが、うちの父が成り上がりの金持ちでしたので、一時期は人生最大の有意義な時間を過ごしてたのかもしれないんですよ。
もちろん、本当のところは知らない。
でも、実際、着物とか、毛皮とかたくさん買ってたし、家には宝石商が来てたからね

逆を言えば見栄張りの父の所業なのかもですけど

でも、まあそんな感じで、毛皮好きだったよ。
車の免許がないから、移動はバスだけど、
ある時そばにいた小学生にゲロを吐かれて
めっちゃ、怒って帰ってきたわけ

もうこんなもの着れない!!!

いくらしたとおもってるのよ!みたいにね

私はそんなのどうでもいいから聞き流してたんだけど

それを聞いてた父親が

「その子が吐くほど具合悪くて、どれだけ我慢して、
我慢しきれなくなって吐いたんだから、その子の気持ちもわかってやれ」

みたいなことを言ったんだよね
今でも覚えてるこの言葉は、うちの父親の語録の中でもM1グランプリものではなかろうか?

いま、なぜそれを引き出しの奥から呼び覚まされたのかは知らないが、少なくともその時に
うわ、かっこええ

くらいの気持ちは持ったと思う。

そもそもうちの父は薄情な人でして、人の気持ちに寄り添うなど皆無だから、概ねどこかの良い言葉を引っ張ってきたのかもしれないが、本人の口を通して言ってたんだから、それはそれでよしとしよう。

件の母は、苦虫を噛んだような顔してたけど、まぁ、その話はそれで終わったよね。

そんなことの切れ端が私の中に積まされて今の私ができてるんだけど、みんなそうじゃんね、いろんなかけらが積み重なって人格ができて行く途中で、どれだけ心におき止められたことがあるのかはとても大事だ。
親のことは好きではないけれど、それはそれで、なぜそうなったのかのプロセスを思えば、反面教師ありがとうとも言えるのよ。

仲良しな親子ばかりが正解ではないし、みんな私に親なんだから、身内なんだからとか散々言ったけど、
そう言う親子に恵まれたのはあなたが運が良かったのよ

と、今は言える気がする。

さて、うちの親の話は掘り下げるつもりはなく、その一言がやたら胸の中で止まってやがるので、まぁ、それを聞いた私は少なからず、人への思いやる気持ちを持つことができましたよ。
めでたしめでたし。ということです。

そしてね、
結論的に私は、こう思うわけ。

なりたい自分が、金持ちとか、自由人とか、
いろんなのぞみってあるじゃない

わたしは、
誰のことも笑わない人になろうと思う

失敗しても笑わない、人の不幸を笑わない
どこかに何かを抱えている人のことも笑わない

他人を笑わない人になりたいなと。

笑うことはもっともっと、愛の起きる場所で使いたいね。

そう、
例えば縁隊長の前でとか。


おわり。


最高の笑顔とはこう言うもの。


何度も突然失職させられ立ち上がりましたが、今回はきついです。 大事な縁隊長のご飯代をカンパ願えませんでしょうか? あなたの愛が今私たちを救います。よろしくお願いします。