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稀覯本VS肉筆原稿 

一人の作家を好きになると、その作家の作品、或いはその作家に関して書かれた書物、雑誌にまで手が伸び、そこからその作家の初版本、稀覯本へと及ぶと、最終的には肉筆ものにまで手が伸びる。これがまぁ、ファン、というものの心理である。

作家によりけりだが、例えば谷崎、などになると、その関連本を蒐めるのには骨が折れる。その範囲をどこまで広げるか、だが、初版本、帯付き、特装本、署名献呈本、これらを一通り集めれば、まぁ、数百万を超えるだろうし、そこから肉筆原稿、短冊、色紙、などに及ぶと、まぁ、2千とか3千万円を超えてくる。
更には、最大に難しいのは作品の初出雑誌蒐集であり、普通はまぁ、蒐めるのは難しい。そこから更に、初出だけではなく、再録なども集めだすと、どこまで無限にあるのか、その果が見えない。把握するだけでも難しいのだ。だが、まさかと思われる出会いもあるため、これが堪らなく楽しいわけだ。

谷崎本はたくさん種類がある。本当にたくさん。

なので、谷崎先生著書総目録、なる本があり、これは和装本で、昔私も所有していたが、手放してしまった。限定234部であり、4冊セットの和装本である。

1冊1冊書影が載っていて、データ集としては最高の部類に入るだろう。
この本に、大量の本を背にした谷崎の鎮座する写真が一葉あるが、その顔が穏やかでいいのである。

谷崎潤一郎の本で有名なのが、『春琴抄』の初版黒漆版ではない、わずかにある赤版で、これは10万円〜20万円くらいが相場だが、黒漆の10分の1しかないため、ウルトラにレア、これを超えるのがよく言われる桐箱入りの限定3部(もう少しある?)の黒と赤のセットの『春琴抄』で、これは何百万くらいで取引されている。250万円、とか、450万円、高いときには800万円である。

他にも限定200部の『細雪』の私家版の上巻は10万円前後するが、これはまぁ1年に1回、どこかしらで顔を出す。
他にも六部集、というものがあり、これは『卍』、『盲目物語』、『吉野葛』、とか、あとは忘れたが、横型の和装本で、これも結構な額がするのだ。まぁ数万円くらいだろうか。

特装本、というのはマニアの心を刺激し続ける。限定も100部を切るとまぁ本当にレアだ。1000部とかは正味限定ではないような気もする。

川端康成も『古都』の特装本、東山魁夷の描いた表装の、限定30部の光悦垣装は、私も実物は見たことはないし、これは100万円〜200万円くらいが相場なのだろう。これの他の2バージョン、紅葉装は350部、竹林装は1200部なので、このあたりはぐっと値が下がり数万規模だ。
『伊豆の踊子』の江川書房版、これは以前、兵庫の古書店で見せて頂いたことがある。なかなかお目にかかれない、とご主人が仰っていて、まぁ、これは50万前後、高ければ70万円くらいはするだろう。限定180部の美しい翡翠の色をした装丁だ。

ご主人は中原中也の自費出版の『山羊の歌』も見せてくれて、こいつはうちで扱っている中でも大物だ、と豪語されていて、まぁこれも100万円くらいする。これは結構出回るので、運がよければ60万円とかで買えるだろう。
宮沢賢治の自費出版の『春と修羅』と『注文の多い料理店』の2冊も100万円はざらにする。まぁ、こういうのは需要と供給なので、運がよければその半値、悪ければ倍でも手に入らない時がある。
試しに今調べてみたら、『山羊の歌』は日本の古本屋で3冊出ている。条件は異なるが、上が160万円台、下が70万円代。

然し、肉筆である。肉筆の原稿である。

西村賢太は師匠である藤澤清造の原稿を買い蒐めていたが、谷崎とか川端あたりだと原稿の金額も高い。
まぁ、ある種藝術家の作品そのものだから、アートとして考えれば格安な気もする。
然し、傑作の原稿というのはなかなか市場には出ないだろう。以前、森鴎外の『舞姫』の原稿が4600万円で購入されていたが、まぁ、それくらいの価値はあるだろう。

例えば、『春琴抄』の原稿完品揃なら、まぁ1億円はするかなぁと思う。『細雪』とかは枚数多いけれども、同額かもう少し安そうだ。
然し、原稿、というのは私の経験上、手に余るのである。入手するまでが嬉しいのだ。
それならば、短冊や書簡、このあたりで数万円で手に入れて、それを家宝にしておくのが安いやり方である。

さて、問題は肉筆と稀覯本、これはどちらが重要か、ということである。

作者御自ら作り上げた肉筆、乃至は署名などは、得難いものであると同時に、然し稀覯本は時にそれすらを超える。
稀覯本は存在そのものが幻の如くであり、背景に物語がある。西村賢太は藤澤清造の唯一の単行本である『根津権現裏』を蒐めていて、確か作品内で削除板、無削除版、献呈本、書き入れ本などで、合計20冊くらい架蔵していたはずで、書簡についても、十通以上も持っているじゃないか、という言葉に対して、「十通以上じゃねぇ、二十一通だ。見損なうな。」という名言(迷言)が飛び出していた。
今、『根津権現裏』の無削除版は48万円の根がついている。

私も、今欲しい本があるのだが、それは150,000円もして、まぁ買えない。

ステファヌ・マラルメの『半獣神の午後』の江川書房版である。限定は100部。今ならば、日本の古本屋で購入することができる。これを買わなければ、また数年は出てこないかもしれない。
鈴木信太郎訳の今作は、マラルメがフランスで発売したものを徹底的に真似て作成した大変に美しい書物で、白地に金字の『FAVNE』の文字の美しさ。

マラルメ、といえばポオの『大鴉』の翻訳詩集がある。日夏耿之介訳でこれも江川書房から発売された豪華本は10万円とかするが、本家はウルトラに高い。
以前、海外サイトで1000万円ほどで売っていたが、これが本家稀覯本の凄まじさというわけか。
マラルメの『大鴉』の話に関してはこの本が詳しい。そして面白い。

まぁ、何れにせよ、稀覯本、肉筆、そのどちらにハマっても、銭が無ければ身を滅ぼすのは西村賢太御大が身をもって小説にして楽しく、可笑しく、面白く教えてくれている。


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