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マンディアルグと美しさと

ピエール・ド・マンディアルグという作家がいる。

マンディアルグは、フランスの作家である。
代表作に、『大理石』や『オートバイ』などがある。
幻想小説である。

『大理石』は書き出しがすごい。

この界隈に住む白痴が、私の窓の前で興奮している。

澁澤龍彦の翻訳である。
まぁ、なかなかこのようにインパクトのある書き出しはないだろう。
33文字。短歌のようである。

マンディアルグの文章は大変に美しいのであるが、その幻想のイメージに、なかなか自分の理解がついていかない。いや、ついていかなくてもいいのかもしれない。マンディアルグの紡ぐ幻想に、ただ身を委ねればよいのかもしれない。

『大理石』は、1953年に発表された作品で、シュルレアリスムで形作られたようなイタリアを舞台にしている。
幻想小説といえば、日本の作家では、私は津原泰水氏が好きである。津原泰水氏の書いた、『バレエ・メカニック』が大好きなのである。

『バレエ・メカニック』では、冒頭から男娼の少年と主人公の造形作家が寝るところから始まるが、ここでも衒いもなく、葉巻型に充血した性器、などという表現を持ってきている。
うーん、いい文章である。いい文章は、具体を持っているという。抽象的に書くのはいけないのだという。幻想小説は若干の抽象性を帯びていると思うが、それは物語そのものの構造だろうか。

幻想小説とは、基本的には夢幻能に帰ると私は思っている。夢幻能とは、能の形態で、ウルトラに単純に言うと、①ある有名な史跡に行きます。②霊が現れて、そこにまつわる話をします ③ぽっとその霊は消えます、というようなものである。川端康成や谷崎潤一郎の小説はこの形式を上手く小説化していて、谷崎ならば、『蘆刈』やそれの発展型の『春琴抄』、川端ならば、『住吉』連作の構造などはそれに近いと思われる。

話が脱線したが、葉巻型に充血した性器は、非常に具体性を伴っている。具体性を持って、抽象性を描く。それがいい文章なのだそうだ。
美しい、とは、何が美しいのか、それを書かなくてはならない。究極的には、美しいという言葉は書いてはいけないのである。

私も、自戒の意味を込めて。

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