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人工島の眠り/詩集 感想

友人のゴタンダクニオさんから、最新の私家版詩集『人工島の眠り』を頂く。

今作は詩集であり、人工島とは、神戸の六甲アイランドのことである。
そして、なぜ六甲アイランドかというと、詩人の竹中郁との関連であり、ゴタンダさんが昨年六甲アイランドの小磯良平美術館で観たという、竹中郁と小磯良平の企画展などからの連想もあるのだという。
それは、私がゴタンダさんの作品を竹中郁と関連付けて紹介したことが発端だという。

竹中郁は、今ではもう完全に消えた(ここで言う消えた、とは、文学マニアとかインテリを除いて世間一般である)詩人である。
彼の、モダンな詩に、ゴタンダさんは心を撃ち抜かれて、そうして、今では恋人にしているのだという。

洒落た男だよ。港町の詩人なんだね。

この『人工島の眠り』にも、そのまま竹中郁めいた詩篇も登場する。それが抜群に良くて、やはりゴタンダさんの言語センスは格別なものがある。
文章、構成が巧みである。

『貴族』という作品がそうで、まるで竹中郁そのもののようだ。私は今作では、これと『海』を推す。
『貴族』はそこに描かれている単語の一つ一つが美しく、見事である。そこにある乾いた感覚、カイロの摩天楼……。

私は、六甲アイランドのホテルに泊まったこともあるが、あそこは人がいない。夢の残滓のような場所である(ああ、あそこのマンションがイニエスタのマンションだ!という情報を識り、夜景を見ながら興奮)。
夜景までも人工的で美しいが、昼間は誰もないゴーストの街である。
美しい青空と緑、そしてビル群が立ち並ぶ様は、不可思議な郷愁を与えてくれる。それは、まるで失敗した建築であるプルーイット・アイゴーを思わせる。


犯罪の温床になった団地


神戸ファッションプラザRinkなど、夢が咲いたようにオープンしたショッピングモールも早々に閉店し、島唯一のMOVIX六甲も2010年に閉館、そのようなことが、儚い記憶のように思えて、私はとても切なくなる。

下記は、他所様のブログだが、往時の記憶を書き留めたもので、大変に貴重である。


つまりは、やはり人工島ということである。人工島とはどこまでも虚無的で、作り物めいていなければならない。

その、作り物めいた世界を舞台にゴタンダさんが詩を書くと、作家の特性がより顕著に立ち現れる。それは、感傷である。感傷と、人工とは相反しているが、だからこそ、互いが響き合い、剥き出しになる。

ゴタンダさんは、いつもその繊細な心で、かつての思い人に恋文を書いている。それが、文学の形を成しているだけであって、届けたいのは特定の誰かかもしれない。

然し、誰しもが皆、そうではないのか?





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