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時の満ち欠け

細田守監督の『時をかける少女』が金曜ロードショーで放映された。

夏の定番アニメになったが、公開当時は単館系で上映されて、予想外のヒットを飛ばしてロングランしていた。
なので、興行収入だって今の細田作品の10分の1とかである。それでも特大のヒットだった。当時は、2006年夏のアニメとして大本命の『ゲド戦記』があって、これは興行収入78億円も稼いだけれども、それが虚しい宣伝絨毯爆撃の効果、ジブリブランド、そして天才の息子の初監督作、という様々な要因で打ち立てた数字であることは疑いようもないが、その裏であくまでもアニメファンや映画ファンを中心にこの作品は盛り上がっていた。

『時をかける少女』で思い出したのが、時という不思議に関してである。
時は常に前方へと進み続けるが、時間の流れは人により、時代により全く異なる。

それを感じさせるのが名作『人間交差点』の中の1エピソードである『時間割り』で、今作では人生の時間割、というものがキーワードになっている。
主人公である可南子は教職についていたが、様々な問題が林立する教育現場で疲れてしまい、夏休みを利用して、父親のいとこであるおじさん(つまり、従伯叔父)の元へ転がり込む。オジさんは劇団で脚本などを書いたりしている売れっ子の脚本家である。
このオジさんに、可南子は小学生の頃から勉強などを教わっていた。オジさんはウルトラにいい加減な男だが、頭が良かった。彼は高校二年生、可南子は小学生1年生から家庭教師と生徒の関係が始まった。

今、可南子は29歳になり、オジさん作中設定を見るに10歳年上なので、39歳〜40歳くらいだろうか。

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物語の後半で、オジさんが可南子に好意を抱いていることがわかり、可南子の心象に、オジさんが作中彼女に告げる『人生の時間割り』という言葉が重なる。
幼い頃、人はだれもが一日が長く、一年が途方もなく長かったはずだ。
それは、大人になるにつれて加速していき、その速度は留まることがない。子供の一年は成人の十年にだって匹敵する。
時間の相対性など難しいことはわからないが、主人公と叔父は、違う時間間隔にいて、それは、時が重なるにつれて近づいていく。次第に重なっていく。
今は、同じ時間を相手に感じられるようになっている。そして、感じている日々の流れはこんなにも速いと言うのに、精神的にはゆっくりとしている。逆に、子供の心は急いている。急いて急いて、だんだん加速していき、そしてついに大人と子供の境を超えて、隣に立つことができるようになる。
今作は、時間が重なるまでの話であり、時を感じる人間の心を巧みに掬い上げている。

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タイムリープとはまるで異なるが、時間、というものは、人々を駆けさせてくれる。
、は未来であり、過去である。そして、未来に立つ瞬間、それに思いを馳せた瞬間、人はもう過去にいる。過去に戻ることは出来ないが、人は常に未来、現在、過去を全て内包して生きている。

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『時をかける少女』のラスト、千昭は真琴に「未来で待ってる」という言葉をかけるが、この『人生の時間割り』においても、オジさんは未来で待っている。時間割りの感覚が近づく、その未来で。

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