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キス

先日、体調を崩した時に、某『八番出口』的な、永遠に続く回廊を歩く悪夢を見てから、私はある繰り返しを思い出していた。
それは、昔、幼い頃に見た『機動武闘伝Gガンダム』のエンディングで、これに私はドキドキしてしまったものだ。

それは、主人公の土門拳、じゃなかった、ドモン・カッシュに口づけしようとする寸前のレイン・ミカムラが延々とループする、そのようなエンディングである。

この曲のタイトルは『君の中の永遠』である。

私は子供だったので、すごくドキドキした。なぜならば、キス、というものは、神聖なものだからだ。

ドモンもレインも共に20歳。子供だった私には、とても大人の二人に見えるだが、今思えば20歳なぞ子供のそれである。だからか、それは神聖である。いや、ある意味、何歳だろうが、キスという行為は特別なものである。

私は、幼い頃に漫画で読んだキスシーンにドキドキしていた。そして、紙に描かれていた人物たちの幸せを祈っていたのだ。アホではあるが、例えば、りぼん、であるだとか、なかよし、であるだとか、そういう雑誌の漫画で、色々と感情の機微を学んだのである。

然し、この曲のタイトルは、『君の中の永遠』、という。
これは見事なタイトルであり、まさに、永遠がそこに凝縮されているようだ。これは心滴拳聴なのである。

強者同士が出会うと時間が圧縮されるのだ。

最愛の人、というもの、そして若い心、というものは、いつだって相対性理論を単純化して体感させてくれる。

キスの瞬間、その一時ひととき、時間は圧縮されて、何度も何度もループする。それはニーチェの永劫回帰思想ともいえる、一瞬と永遠の結合である。それが達成されて、唇が肌から離れた時に、時間は元通りに進み出す。

キスは何時間でもしていられる問題、というものがある。然し、こうなってくると、もはや性欲が邪魔してきて、神聖が無くなるのだ。
幼心に憧れたキス、それが神聖であって、それは思いが成就して果たされるその時に潰える。

美、それは恋、であり、美、というものは鉛筆のごとく先端から潰えていってしまう運命を持ち、恋、というものも、成就、という一点を超えると、あとは潰えていく。
だからか、その恋の炎のゆらめきというものは美しき灯火ともしびである。

永遠は自分の中にある。と、同時に、他者が与えてくれるものでもある。そして、永遠とは、過ぎてしまえばもう、とある日のそんな小さな出来事、そのようなものでしかないが、口づけ、というものはいつだって特別であり続ける。それは神聖であり、永遠であるから。
ランボーは太陽に溶けた海を見て永遠を観たが(『マイ・エレメント』でもそんなシーンがあったぞ)、それも一つの口づけである。


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