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最期の七日間

『今年の夏は越せないかもしれない』

6年前の7月2日(土)の義兄の
3回忌が終わってしばらくしたある日


いつもの夜中のおしゃべりタイム
の時に雪男⛄️さんが急に
静かに話しを始めた。

『どうして?夏は雪男⛄️さんが、
いちばん好きな季節なのに?』

わたしは、雪男⛄️さんは
夏バテ気味なのかももいう
意味で言ったのだと思いこみ
あえて軽く返事をした。

『どうしてそう思うか分からない
けど、そんな気がして仕方がないんだ』

つい先日の心臓血管外科の
定期検診では取り立てて
ワーファリンの効きや
異常な所見はないけれど
あまり調子は良くないとのことで

いつよより早めに、
お盆明けの8月24日(水)
に次の予約も入れていた。

その年の6月から7月は
かなり暑さが早くから始まり

また、色々な行事が
立て続けにあったため
いつもに増して疲れが
出たのかもとも思っていた。

『7月はもう大きな行事も
ないから、少しのんびり
休日も過ごして様子を見ようね。
きっと思い過ごしだよ。』


わたしはそう答えた。


嫌な予感もしつつも、
お互いにそれ以上その話は
しなかった


その代わりに
8月の長男の18歳の誕生日会の話や


8月末のユニバーサルスタジオジャパン
の4人で行く久しぶりの旅行の
話に切り替えていった。

※※※※※※※※※※ ※※※※※※※

子どもたちの夏休みが
始まった。


長男は特別支援学校高等部
の最期の年。


一学期は就労実習三昧だったので
最後の夏休みは思いっきり羽を
伸ばしてもらおうと

ガイドヘルプの方との外出や
小学校時代にお世話になり
なかなか会えなくなる歴代の
担任の先生と会う約束を
たくさんした長男は毎日充実
した日々だった。


対照的に小5の娘は
中学受験を控え、
毎日夏期講習や宿題に
追われていた。


苦手な理科の問題や算数の
応用問題は雪男⛄️さんに
手伝ってもらいながら
時々容赦ない激励に
文句を言いつつ従っていた。


わたしは、いつかの記事に
書いた通り、介護の資格を
取ったばかりで、


新しくて慣れない高齢者の方の
居宅支援に追われており、
移動の時に焦って自転車事故で
右足を痛めたりしながらも
暑い夏の中をバタバタと
動きまわっていた。


そんな忙しさのおかげて、
最初の雪男⛄️さんの話しを
すっかり忘れて過ごしていた。



そして、8月3日は、
長男M君の18歳の誕生日✨



障がいがある子の場合には
制度上は18歳でほぼ成人と
同じ扱いとなり
支援の手がだんだん減っていく。



この厳しい現実をかなり前から
私と雪男⛄️さんは知っていた
ので、

『18歳長男完成計画(仮称)』


を3歳のときから実行して
いたのだ。


無事に18歳の誕生日を迎えられ
2人で夜中に泣きそうになり
ながら語りあっていた。


夏のリオオリンピックが
始まり、日本🇯🇵中が
盛り上がりを見せていく
時期と重なっていた。


※※※※ ※※※※※※※※※※


8月13日(土)この日は朝イチの
『睡眠時無呼吸症候群』の定期
診察の日


早朝7時半頃、
雪男⛄️さんは静かに身支度を
して出かけようとしていた。

玄関のドアを開ける音で
私が気がつき、
布団から廊下に這い出て
見送る。

よっと、いつものように
右手だけ軽く上げ

笑顔で

『行ってくるねー』とひとこと

明るい様子で出ていった。


毎週土曜日に、私は午前中
バレエのレッスンを受けていた。


レッスンが終わる13時頃


雪男⛄️さんと娘の3人で、
近場でランチを取ることが
ルーティーンだった。


この日、レッスン終わったよ
メッセージを携帯に送ったのに
反応がない。


変に思って、電話をしたら
雪男⛄️さんが少し時間が
かかり電話口に出た。

『病院、終わったのよね?
何か先生に言われた?』

少し間があり、雪男⛄️さんが
答える。

『今日は、いつもの先生じゃなくて、
虎ノ門病院の心臓も診られる
代診の先生だったんだ。

そしたら、聴診器とかを当てたり
した後に、あれっ?て顔をされ、
心臓の方の病院にかかっている?
て聞かれたんだ。』


『新横浜の心臓血管外科にかかって
いて、今月24日に受診予定です。
と答えたら』

『よかった。今すぐどうこうじゃない
けど、ちょっと心不全の兆候がある
んだよね。定期的にかかっているのなら
その時に相談してね。と言われたんだ。』


どう答えたら良いか少し
悩んだわたしは、


『今すぐじゃないなら、ひとまず
お昼食べない?

M(娘)ちゃんも
お腹空くと機嫌悪いし。

今日は、お盆で塾もピアノ🎹
レッスンもないからそのあと
ゆっくり休んでいたら?』


呑気そうに答えた私だけど、
内心ドキドキしながら
近場のモスバーガーに向かう。


案の定ご機嫌が斜めの
娘をなだめつつ
いつものようにモスランチ
をしていた。


雪男⛄️さんが、大好きな
フィッシュバーガーなどを
普段と変わらず美味しそうに
食べるのを見てホッとした。


とりとめないのない話しを
3人でしながら
ゆっくりランチを済ませ
自宅に戻った。


15時半ごろの長男のガイドヘルパー
さんとの外出帰りと、
お料理の家事支援のヘルパーさん
をまった。


帰宅後、雪男⛄️さんは、
自室で横になっていた。



長男が帰宅し、ガイドヘルパー
Nさんと家事支援のMさんと
雪男⛄️さんの容態の
話しをしたりした。


8月13日(土)20時過ぎ夕飯後

私と娘Mちゃんは、韓流ドラマ

『星から来たあなた』の


録画していた分の何本かを
2人で楽しく観ていた。


20時半頃台所に雪男⛄️さんが来て
パスタ少し食べた気配。


時々、様子を見に行く。
枕を高めに斜め横に身体を
右下にして横になっている。


ドラマをだいたい見終わり、
22時前に再度様子を見に行った。

急に容態が悪化していた!

雪男⛄️さんは、
冷や汗をたくさんかきながら
ベッドに青い顔をして座り
肩で呼吸していた。


かなり苦しそうで声も出せない。


『救急車呼ぶ?』

私が聞くと

『うん』となんとか頷く。

長男Mくんは既に寝ていた。


リビングで、まだ起きていた
Mちゃんに落ち着いた声で
いう。


『お父さんの状態が良くないから、
わたしは急いで救急車を呼ぶね。
翌朝まで帰れないと思う。


Mちゃんは、(私の実母の)おばあちゃん
に今電話して家まで来てもらって。

救急搬送の方が先だから、
私とお父さんが居なくなっても
おばあちゃんが後から必ず来る
から大丈夫。』



22時過ぎ救急車を呼ぶ。
すぐに到着して救急車に移動。
搬送先探しに20分くらいかかる。


何とか心臓血管外科がある
湘南藤沢徳洲会病院がうけてくれる。


酸素取込み濃度83から87。


気管挿管レベル。
と救急隊の方に言われたが、


私は、

『心臓疾患のワーファリン服用のため、
その方法をやるとその場で大量出血して
死亡してしまう』


と訴える。


搬送先の病院に到着
救急処置室に引き継いだのは
22時50分ごろ。


『気管挿管が必要な酸素取込み
レベルなので、許可がほしい』
と言われた。


わたしは再度ワーファリンの服用を
伝え、気管挿管したらそのまま
失血死してしまう旨を必死に訴える。



そこに、たまたま病棟に残っていらした
心臓血管外科の専門医の岡田先生が
救急処置室に降りてきてくれ、
事情をすぐに理解してもらえた。


『わかりました。危ない状況だけど
気管挿管以外の方法を探してみます。
外でお待ちください』


外に出る。
何も考えられない。


23時頃、岡田先生に呼ばれた。
雪男⛄️さんの今の状態を
教えてもらえた。


『心不全の状態であること。
肺(心臓)を水が圧迫して血圧が急上昇!
利尿剤を投与したら水が相当排出でき
血圧が降下してきた。
BiVAP(バイバップ)という方法で、
何とか呼吸の維持。
そのまま安定してきたら上のICUに
移動できる。』


と、穏やかにお話をしてくれ、
驚いたけど少しホッとして
お礼をのべた。



いちばんの峠は越えたので
岡田先生は処置室から出られた。



ICUに上がる 3時半頃まで緊急処置室に
私もいて良いことにしてもらえた。



少しだけ、雪男⛄️さんとお話ができる。



『もう、このままダメかと思った。
ごめんね。(色々)ありがとう』

と雪男⛄️さんが言う。



色々な装置がついていたので 
雪男⛄️さんの指先だけを
私が軽く握手する。



『何言っているの。いつものことじゃない。
良くなったら退院して少し休んで、
ユニバーサルスタジオジャパンに
みんなで行こうね』


と明るく声かけをした。


ICUに、3時半過ぎにあがる。
私は、そのまま隣の部屋に待機。
始発を待つ。母に電話。


5時頃病院を離れ帰宅する。

まだ6時前。
子どもたちは寝ている。
母に雪男⛄️さんの状態を小声ではなす。


※※※※ ※※※※※※※※※※


以下、時系列で覚えていることだけ
書いていきます。


8月14日仮眠をとり10時過ぎに再び
病院へ。


面会時間外だったけど、雪男⛄️さん
の様子を見に入れてもらえた。

昨日のBiVAPではなく、一般的な
鼻からの酸素吸入に変わっていた。
意識はまた怪しい。


それでも何とか雪男⛄️さんが
話しをする。


『15日(月)に会社に行かれないから、
連絡してほしい。直属の上司は
新盆で帰省中だからこの人に』



メモ書きを私がとり、雪男⛄️さんの
携帯の番号を見せて確認する。


『必ず、15日の朝イチに伝えるから
安心して休んで』


ICUは長居ができないので、
担当の看護師の方に少しだけ
容態を聞けた。


このまま容態が安定
するなら明日に一般病棟に移れる
かもと言われてほっとする。


そのまま部屋を出る。



8月15日(月)朝イチに池袋の会社
の上司の方の携帯に電話をする。
びっくりされたが、会社のことは
大丈夫だから安心して治療をしてほしい。
と言われた。



午後の面会時間少し前に行く。
娘Mちゃんも連れて行く。


10歳の娘はICUには入れないので
一般病棟に移れるなら会わせて
あげたいと思い連れてきたのだ。

ところが、まだICUにいることに
なったと受付の看護師さんから
言われて驚いた。


私だけ中に入る。



おかしい。
昨日より意識が混濁している。
食事を提供されていたけど、
ミートパスタが食べかけたまま
テーブルに少し散乱している。



『雪男⛄️さん、会社にはちゃんと
状況を伝えられたから、大丈夫だよ。』


わかっているか分からないけど、
多分聞こえていたとは思う。



娘Mちゃんには、

『お父さん、まだICUにいることに
なり、今日は面会は無理だから
このまま帰ろう』

とだけ伝えた。


かなりがっかりしていた様子なので
気晴らしをしながら帰る。



病院から自宅に電話が入って
いたことに夕方気がつく。


慌てて折り返しの電話をする。
担当の先生が出られる。



『経過観察をもう少し精査したいので、
Aラインという、動脈から取る装置の
装着許可を奥様に取りたかったのですが、
ご本人の了解が得られたので大丈夫でした』

Aラインとか、何だろう?
心臓の状態は安定しているのに
意識がだんだんなくなっていく
のはなぜ?


ICUには、私1人しか入れない。
不安が募ってきた。



雪男⛄️さんのお母さんにも、
看護記録のように毎日メッセージを
送りながらも心配をかけると思い
相談ができなかった。



8月16日(火)こんな中で、
家事支援の仕事をひとつだけは
こなした。マネージャーに
事情を伝えそれ以降の仕事は
しばらくお休みする旨を伝える。



仕事のあと、面会に行く。


ICUに入り雪男⛄️さんのベッドへ
近づく。


呼吸器がガッチリしたものに変わった。
意識はほぼない。。


私が来たのに声をかけても
握手しても反応がない。。


担当の看護師さんが来てくれた。


『ご主人の状態が把握できてきました。
担当医の岡田先生がお話したい
そうです。
明日、面談の時間が取れますか?』


8月17日(水)この日は、娘Mちゃんの
横浜で夏の特別特訓が始まる。


その前の週に一人で横浜に行き
講習会場まで行く練習をしていたので
駅まで送り一人で行ってもらった。



13時に担当の岡田先生との面談。


13日の救急処置室で会って以来初めて
お話をする。重い雰囲気だった。


画像やデータを見せてくれながら
先生がお話しを始める。



『ご主人の病状ですが、
心臓疾患自体の問題は
ほぼ今はありません。

問題は肺の換気機能です。

長年の間にご主人の側わんが強くなり、
左肺はほぼ潰れ、右肺で呼吸していた
ようなのですが、その機能が急速に落ち
今は、二酸化炭素をうまく外に排出できない
状態です。

酸素はいくらでも入れられますが
二酸化炭素を吐くという行為は、
ご本人しかできないので
助けることが難しいです。

うちの病院で治療という意味では
残念ですが、何もお力になれません。


長期療養型の病院への転院をお勧め
します。

転院先の病院が見つかるまでは
もちろんこちらの病院にいて
いただけます。』


耳で聞きながら頭で理解しようと
務めたけど、予想外の話しで
ことばだけしか入ってこない。
しばし私が沈黙した。


それでも何とか


『転院先の病院を一緒に
探してください』


とだけは言えた。



翌日18日(木)15時から病院の
ワーカーさんとの面談の予約をした。



8月18日(木)朝8時半ごろに
病院の岡田先生から電話がかかってきた。



『ご主人が、脳内出血しました。
人工呼吸器を装着するかどうかの
瀬戸際です。すぐに来られますか?』



子どもたちは、まだ朝食の途中
だった。


『すみません。長男にはお話をした通り、
自閉症の障がいがあり、母たちがいっしょ
に行かないと難しいです。
何とか連絡を取り、12時前には行きます。
それまでどうにか持たせられますか?』


と、逆に聞いた。


『わかりました。
12時までは何とかお待ちします』

何も考えずに母たちや、子どもたちを
お願いできる人に電話をしまくった。


12時前に母と私たち3人はタクシーで、
病院に着いた。
少し遅れて雪男⛄️さんのお母さんも
到着した。


岡田先生が待っていてくれた。
画像を見せてくれた。


『早朝から、脳内出血が始まりました。
手術することもできなくはありませんが、
人工呼吸器装置の装着が前提になります。
どうされますか?』


雪男⛄️さんのお母さんは看護師だった。
画像を一目見るなりダメだとすぐに
わかってしまった。



『ごみちゃんさんに、判断を全てお任せ
するわ』と、優しく言われた。


長男M君は、『やだ生きてほしい』
と大騒ぎ。


『子どもたちを夫に会わせてもらえますか?』

わたしはお願いした。


子どもたちは、
救急搬送の日以来初めて
雪男⛄️さんに会えた。


雪男⛄️さんを一目見るなり、
ショックで娘Mちゃんは
その場で過呼吸になった。


長男M君は、ただびっくりしたまま
何も言わなかった。


長男M君に向かい私が言った。



『お父さん、ずっと頑張ってきたよね。
これ以上この苦しい状態のままに
しておきたい?』


彼ははっきりと言った。



『(苦しめるのは)いやだ。諦める』



人工呼吸器の装着は断り、
出来るだけ苦痛を取り除いてほしい
とだけお願いした。


時間外の面会なら、
子どもたちもいつ連れてきても良いと
保証もしてくれた。

この日、偶然にも辻堂にいた親友Wちゃん
に電話が繋がり事情を話し、最期に
時間外に会ってほしい旨を伝えた。


彼女は泣き崩れながら会いに行ってくれた。


夜、20時過ぎに子どもたちと、
おそらく最期になると承知の上で
ICUに行った。


清拭用のタオルをもらい、
みんなで雪男⛄️さんの手足を優しく
マッサージしながら拭いてあげた。



長男M君と娘Mちゃんが手を握ると
奇跡的にわかったようで反応があった。

耳にはイヤホンで、娘Mちゃんの
ピアノ発表会の曲を聴かせてあげた。


聴力は最期まで残っていると聞いて
いたから。


30分ほどいてみんなで写真を
内緒で撮りそのまま帰宅した。


すぐに呼び戻されると知りながら。




※※※※※ ※※※※※ ※※※※※



8月19日夜中一時過ぎに、
病院から電話があった。



長男M君は起こさずに
娘と私は、母に電話して姉も
いっしょにタクシーで病院まで
向かった。


最期には間に合わなかった。




雪男⛄️さんらしく、一人で
ひっそりと旅立ちたかったのだろう。


とても穏やかな顔をしていた。



※ ※※※※※※※※※※ ※※※※


その後、色々なことが
あったはずだけど、
機械仕かけのおもちゃのように
ただやりこなした。


会社にはすぐに電話を
して、子どもたちと義母の状態
を話し家族葬にする旨を
伝えた。


わたしには子どもたちと、
一人息子を亡くした
義母を支える役目を
することが最優先だった。


そして、
雪男⛄️さんの死を
他人事のように思い込んで
哀しみも苦しみも封印した。


亡くなると同時に、
長男M君はたくさん色々な人に
電話しまくった。


福祉関係の方々と
長男M君の特別支援級時代の
懐かしい子たちや親御さんたちに
来てもらえて



家族葬なのにとても賑やかな
お通夜になった。


長男M君がお通夜の中で
話題の中心となり来てくれた方々に
私に代わりにお礼と経過などを話していた。


雪男⛄️さんが好きそうな
笑いが絶えない不思議な2日間だった。



娘Mちゃんは、
対照的にずっと無言だった。


一言も話さず、
布団の上に横になっていた。


『ピアノ🎹で、お父さんを
見送ろう』

私が提案すると、


娘Mちゃんは、
静かに立ち上がり
6月の発表会で弾いた
曲を練習し始めた。


※※※※※ ※※※※※ ※※※※※

以下、娘Mちゃんの手記
(ほぼ原文のまま)


『8月13日お父さんが救急搬送。
意識障害だった』


『8月18日朝脳内出血し、
お父さんが意識を失った。

手術もできると言われたが、
みんなで話し合ってそのままに
することにした。

生きててほしい。』


『2016年8月19日午前2時37分K家の父、
雪男⛄️さん死亡確認』



『8月22日のお通夜には、たくさんの人が来てくれた。お父さんは人気者だなぁ・・』


『23日は、告別式を行った。
送り出すときにピアノを弾いてあげた。』

ただ、短い言葉だけが残されていた。



彼女の気持ちは以下の演奏に
全て込められていた。


『ショパンワルツ10番』


※※※※※ ※※※※※ ※※※※※


そして、6年後の今日は、


色々ありながら成長していく
娘Mちゃんの姿をピアノ🎹を
通して雪男⛄️さんに伝えよう。




長男M君も、
2017年4月からA型事業所に
就労。

4年間の修行を経て、
昨年4月から一般就労に転職し
独立を目指している。


8月3日に24歳になった。
相変わらずの爽やかな笑顔を
雪男☃️さんに✨✨


私からは、2016年7月に
新しく作り直したばかりの
結婚指輪💍がつけられなかった
雪男⛄️さんに


深い愛と感謝を込めて❤️



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