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荷風と鱒二と今宵は愉快に過ごしてみるか

永井荷風という作家を知らない人はいないかもしれない。謙也は、学生時代に買い集めた中央公論社の「日本の文学」を玄関の本棚に置いてある。積読というもので、最近、時間が余って、読書しかないので読んでいる。箱入りなので、中身の本は、さほど痛んでいない。

昔は、全集が流行した。角川書店が『昭和文学全集』を1952年に出版した。「日本の文学」は全80巻も出版されている。全巻揃えて、居間に存在感たっぷりに本棚を埋めるのがにわか教養人の姿だった。また、大正末期に大流行したのが円本(えんぽん)。1926年(大正15年)末から改造社が刊行を始めた『現代日本文学全集』を口火に、各出版社から続々と出版された、一冊一円の全集類の俗称、総称のことを言ったそうだ。

『終戦直後の出版ブームが過ぎると、出版界の混乱や不況も手伝って、出版社は苦しい時代を迎えます。ベストセラーを出し、経営を安定させることに出版社の将来がかかっていました。このような中で、出版社は相次いで文庫、続いて全集を発行しますが、それは戦前の円本ブームの再来を思わせました。』という国会図書館の記事を読んだ謙也は、出版界も何度も苦境に立たされ、這い上がって来たんだと感心した。

永井荷風の荷風は、十六歳の時、瘰癧治療のため入院した病院で、世話をしてくれた看護婦さんの名が「お蓮さん」。少年は恋した。この恋はかなうことはなかったが、それを筆名とした。蓮(はす)の別名である「荷」。それになびく「風」だから荷風だと推測されている。荷風らしい恋バナ。

荷風は、日清戦争後の中産階級の没落の実情、貧窮、身売り、心中などを描いた観念小説、悲惨小説と呼ばれた広津柳浪のしばらく門下生なる。また、イギリスの作家・エッセイストであるチャールズ・ラムの『沙翁物語』や19世紀前半のアメリカ合衆国の作家、ワシントン・アーヴィングの『スケッチ・ブック』やフランスの小説家、エミール・ゾラの『女優ナナ』などを療養中に耽読した荷風。すでに21歳の頃、吉原、洲崎の遊郭に通っていた。

評論家の大岡昇平は、荷風のエロチックな点をこう括っている。
1、社会に対する態度、思想に一種の偏執が現れる。
2、極度のエゴイズム
3、理解の狭さ、その結果一種の単調さが生じる。
4、異性に対する残虐性。


また、当時は、官憲による風俗壊乱罪による発売禁止になってしまう世の中だった。荷風も発売禁止本がいくつかあった。『ふらんす物語』『歓楽』は発禁となる。そんな中でも『断腸亭日乗』は、永井荷風の日記。1917年9月16日から、死の前日の1959年4月29日まで、激動期の世相とそれらに対する批判を、詩人の季節感と共に綴り、読み物として近代史の資料としても、荷風最大の傑作とする見方もある。 (ウィキペディア)と言われた日記は、すごいと謙也は思った。

日記はこんな感じで記されている。日記の体でなく、随筆でもある。精力的に描き続けた傑作だと謙也は痛感した。文豪の文豪たる所以だ。
十二月廿八日。米刃堂主人文明寄稿家を深川八幡前の鰻屋宮川に招飲す。余も招がれしかど病に托して辞したり。雑誌文明はもと/\営利のために発行するものにあらず。文士は文学以外の気焔を吐き、版元は商売気なき洒落を言はむがために発行せしものなりしを、米刃堂追々この主意を閑却し売行の如何を顧慮するの傾きあり。予甚快しとなさず、今秋より筆を同誌上に断ちたり。薄暮月蝕す。
十二月廿九日。この頃寒気の甚しさ、朝十時を過るも庭の霜猶雪の如し。八ツ手青木熊笹の葉皆哀に萎れたり。小鳥の声も稀になりぬ。大明竹の鉢物を軒の下日当りよき処に移す。午後花月に徃き浦里上の段稽古を終る。本年はこれにて休み来春また始めるつもりなり。帰途夕暮になりしを幸新福亭に立寄り夕餉をなす。主人も折好く芝居稽古を終りて帰来りたれば、清元一二段さらひて後、来合せたる妓雛丸とやらを伴ひ銀座通年の市を見る。新橋堂前の羽子板店をはじめ街上繁華の光景年〜歳〜異る所なし。唯余のみ年老いて豪興当時の如くなる能はざるのみ。鳩居堂にて香を購ひ車にて帰る。桜田門外寒月の景いつもながらよし。

文豪といえば、井伏鱒二の詩がユニークだ。視点が詩人と言われる人たちと別格だ。「魚釣りが大好きなので、鱒二とつけたそうだ。井伏家は室町時代にまで遡れる旧家で、代々の地主でした。5歳の時に父を亡くし、それからは祖父に可愛がられて育った。中学3年生(現在の高等学校3年にあたる)の頃から画家を志し、卒業後は3か月間も奈良・京都に写生旅行に出かけました。偶然、日本画家の橋本関雪に入門を申し込むチャンスを得ましたが、あっさりと断られ、泣く泣く帰郷しました。文学の道へと導いてくれたのは、同人誌に投稿などをしていた文学好きの兄でした。兄から何度も勧められ、画家を諦めた井伏は、文学の道を進むことを決意した」と世界の名著をおすすめする高等遊民.comに書いてあった。

上品な笑いの詩人のように思う。『つくだ煮の小魚』も傑作中の傑作だ。

『つくだ煮の小魚』

ある日 雨の晴れまに
竹の皮に包んだつくだ煮が
水たまりにこぼれ落ちた
つくだ煮の小魚達は
その一ぴき一ぴきを見てみれば
目を大きく見開いて
環(わ)になつて互にからみあつてゐる
鰭(ひれ)も尻尾も折れてゐない
顎の呼吸(こきふ)するところには 色つやさへある
そして 水たまりの底に放たれたが
あめ色の小魚達は
互に生きて返らなんだ

何かメルヘンチックに思えるが、冷静に佃煮の小魚を丁寧に観察しているので分かる。変な感情移入をしない点が素直に笑える。ユーモラスさと絵画的な描写は、心を打つと謙也は思った。
「荷風と鱒二と今宵は愉快に過ごしてみるか」なんてね。

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