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ADHDと就活とうつ病と休職と双極性障害と復職

わたしがADHDだとわかったのは大学院時代・・・M1の秋だった。ちょうどADHDという概念がインターネットを中心に広がりつつある頃だった気がする。
実験に夢中になるあまり出たかったはずの授業をすっぽかしたり、逆に電気泳動してること忘れて大切なDNAを流しきったり、ゴミカスレベルのトラブルが続いて大学の保健センターに駆け込んだ。こういう症状があって~と話すと、色んな検査(発達障害御用達のWAISだけでなく、ロールシャッハやバウムテスト、言語連想テストなどなど)を2,3日がかりでやって、見事発達障害ですね~と認定を受けた。

このテストはすべて大学の保健センターでやってくれる。タダだ(ちなみに医療機関でやろうとするとウン万円かかる)。しかし、ホケセンは医療機関ではないから診断書のようなものは出せないとのことだった。このまま病院を紹介してもらって正式に診断を受けて投薬治療をするも良し、保健センターで心理士さんと認知行動療法などをするも良し、といった具合で選択を迫られ、お金のなかったわたしは週1のホケセン通いを始めることになる。ここで日々の困りごとへの対策や考え方の矯正なんかをちまちまとやっていたのだが、ADHDの人間が実験や授業に追われながら決められた日時にホケセンに通い続けることはそれなりに難しく、たまに「今日予約入ってるんですけど・・・」みたいな電話がかかってきたりもした。それでも行ける日は行くというスタンスで続けていた。就活が控えていたので、マジでADHD的トラブルでその後の人生ぶち壊しになるとヤバいと思い、その一心で続けていた。

この頃、あれこれ情報収集する中で「オープンかクローズドか」というのが発達障害界隈就活のキーワードらしいとわかった。つまりは、「わたしADHDです!!」と宣言して就活するのか、秘密にして就活するのか、である。
5,6年前とは言え、今ほど発達障害への理解も知名度もなく、オープンで就活するのはそういう枠でもない限り修羅の道に思えた。それに、自分で業務内容や業務量を掛け合えばクローズドでもやっていけるという体験談も多く見つかった。

就活の季節になり、なんとなくホケセン通いは卒業となった。クローズドを選んだとは言え、自分の弱み/強みなどを答えさせる場面では、この特性をほんのりほのめかした。「マルチタスクは苦手ですが、一つのことに集中して取り組んだり、掘り下げて極めるのは得意です」のように。あ、こういう文言はこのままテスト結果に書いてあるので、自己分析(笑)のたぐいはとても楽でした。

ちなみに就活中やらかしたADHDムーブとしては、日常的なメールの見落とし、書類は通っていたのにその後のテストを受け忘れて落ちる×数社、面接会場が東京だと思って成田空港に降り立ち「さて会場への経路調べるか~」とマイナビを見たら会場が大阪だった事件、スーツ以外全てを忘れて現地のドラッグストアでフルメイクする暴挙、などなど。そういえば大学受験でも3回くらい受験票を忘れたなあ〜なんてことも思い出した。
でもなんやかんやで大手企業含む数社から内定をいただき、今の会社に就職した。

ちなみに今の会社を選んだ理由は「いちばん人数が多くていろんな部署があるから」だ。社会の先輩方から、「でかい企業のほうが外れ値の人間を受け入れるバッファーがある」「嫌だな~と思ったとき異動でガラッと環境を変えられる」「人数少ない会社だと苦手な人がいたとき逃げ場がなくてしんどい」という助言を受け、妄信した結果だ。そして、今もこの選択は後悔していない。

最初の部署は月単位のルーティンで動くことが多く、業務の組み合わせ方によってマルチタスクを回避することができた。上司に掛け合い、「月初は絶対○○で忙しくなるので、××の締め切りを2週目にしてもいいですか?代わりに△△は3週目までにやるので!」など打診することもあった。特殊な部署でオツボネ様が牛耳るガラパゴス閉鎖空間だったが、愚痴を言い合える先輩もいてそれなりにやっていた。残業は平均して10時間以下の激烈ホワイト。仕事内容は、社内ではめちゃくちゃ特殊な分野で、その部署だけ妙に浮いている感じはあった。ただ、コロナ禍で暇なときに転職ごっこをしてみて、転職市場ではバリつよ業種だということがわかり、「嫌になったらいつでも転職したらいいや~」と思えていたのも、なんだかんだで心が折れない理由になっていた。

3年働いたら玉突き人事に巻き込まれて、今の部署にうっかり異動してしまった。花形っぽい部署だった。ルーティンが全くなく、あるとすれば年単位のざっくりした予定だけ。常に新しい仕事が舞い込み続け、マニュアルもなく、それらを少人数のバーサーカーで狂ったように捌いていく戦場だった。やっている内容は自分の好きなことだったが、アウトプットを見るにつけても「もっと時間かけられたらもっといいものできるのにな~」と思うものばかりだった。でもまあ、好きな内容なので、(前部署から残業時間は数倍になったが)良き上司とともにウンウン唸りながらやっていた。

そこで1年が経った頃、上司が変わり、メイン級の業務が新たに2つ降ってきた。「業務割り振りの相談」と称してわたしの新たな業務が伝えられ、見た瞬間に無理を悟り「同じ時期にこいつらの繁忙期が重なるとしんどいです(繁忙期が重なることは確定している)」「できれば前年度からやっているメイン業務に集中したいです。そっちの分量は増やしてもらっていいので、業務の種類を増やすのは勘弁願いたいです」「マルチタスクやるとミスが増えて迷惑かけると思います」などなど、ADHD的なアレをほのめかして伝えた。部署全員がバカほどの業務を抱えているのもわかってはいたし、正直何も変わらなくても仕方ないなと思っていたし、実際にわたしの業務構成が変わることはなかった。「相談」とは名ばかりである。

その心配MAXのまま2年目に突入、初回の激烈繁忙期で一旦体調を崩し、最終的に会社のトイレの床に転がった。メンクリに通い始めるも、一度崩れた体調は戻らず、仕事がどんどんできなくなっていった。立派なうつ病患者のできあがりだった。もう本当に意味が分からないくらいミスを連発したし、文章も全く書けなくなったし、資料を読むことすらできなくなった。完全にダメになる前に手持ちの仕事を全部整理して、やれることはやり引き継げるものは引き継いで、なるべく華麗に休職に突入した。立つ豚跡を濁さず、なるべく。

休職中のわたしが何をしていたかはTwitterとかnoteとか見ていれば何となくわかるかと思うが、とある事件をきっかけに診断名がうつ病から双極性障害に変わるなどした。主治医は「多少破天荒なことがあってもADHDのせいかな~と思っていたが、さすがに躁」と言っていた。ウケた。薬も変わった。抗うつ薬の代わりにリチウムを飲まされた。効いているかどうかはわからない。正直、これまでの人生がずっと長い長い躁期間で、この度うつになりました、というオチもありうる気がしている。

躁があるとうつが来る。その繰り返しで1年休んでも体調は安定しなかった。が、少しずつマシになっていっているような気もしたし、とにかくお金がなかったので今年の秋頃復職したい旨を主治医に伝えた。とにかくお金がなくてそのストレスでもっとうつになりそうですと言うと、「そこまで言うなら・・・」といった感じで復職用の診断書を書いてくれた。

その後の無理すぎる日々はこちらの記事を読むとよくわかるだろう。

なんやかんやあったが、先週わたしは復職した。わたしの休職もあって(?)部署は無事増員され人数はおよそ1.5倍になっていた。それでも仕事は減らなくてみんなヒィヒィ言っているらしい。自分がいない間にすごく進んでいた仕事もあれば、あんまり変わらないものもあった。一番好きだった仕事はほぼ進捗がなくてそのままスッと戻ってもついていけそうだった。良いのか悪いのかわからない。

復職したと言っても最初は時短勤務でこれといった仕事も与えられず、「とにかく通勤に慣れろ!」という具合。休職時にPCも取り上げられたのでそのセットアップから始まる(まあまあだるい)。1日4時間しか働かないので、初めの週はほとんどシステム周りの環境整備で終わった。

上司はわたしの「順調にフルタイムまでもっていこうね&再発防止しようね計画書」を作っていて(人事に作らされていて)、その内容を一緒に確認する時間もあった。そこには「本人のADHD特性を考慮し・・・」のフレーズから始まる業務振り分け案が記載されていた。想像に難くないだろうが、その内容はおよそ2年前にわたしが無理だと訴えたときの妥協案とほぼ同じである。

わかりやすく診断名があれば業務内容を変更してもらえるという事実に何とも言えないやるせなさを覚えた。診断名があるとかないとか関係なしに、最初から適材適所でやればいいだけの話だろうに・・・と思ってしまうのはわがままなのだろうか。もちろん、当時と比べると人手は増えて希望が通りやすくなった・・・みたいな理由もあるだろうが、診断名の一人歩き感が否めないのだ。上司から「合理的配慮」という言葉が出てきたときはちょっと笑いそうになった。

※こんな風に書いてはいるがめちゃくちゃ有能で優しい、良い上司ではある。ただこのジャンルに関する理解が乏しいだけで。

というわけで、せっかくクローズドで「そういうキャラの奴」としてうまくやっていたのに、わたしがADHDであることがご丁寧に正式な書類に書かれてしまった。そういうところだぞ!が否めない。ダイバーシティ云々言っているが、結局はわかりやすく名前が付いた異物を適当にいなすための枠組みでしかないのかなと思った。診断名じゃなく個人をちゃんと見ろよ!こっちだって開示してんだからさ!など、しょっぱい思いが駆け巡った。

まあいいのだ。わからないだろうし。でも、ちゃんと有能な人でもこの程度なのかという、世間一般のわかってなさ度合いにしょんぼりしてしまった。ああいう人の周りってみんな真人間なんだろうな、わたしみたいなの異分子でしかないんだろうな。

わたしは普段から働きたくない働きたくない言ってるけど、そうは言っても金のために働かない選択肢はない中で、ギリ今の会社でよかったと思っているし、できれば部署の役に立ちたいし、役に立つ技術も持っているはずなのだが、こんなしょうもないことでわたしという人材を失っていたんですか???(突然の上から目線)

得意と苦手はみんなにあることなんだから、それをうまく振り分けるのがマネジメントなんじゃないんですか~~~???という超上から目線の愚痴を投げかけておしまいにします。ばーかばーか。


おわり

サンタコスをドンタコスの発音で言っちゃう、最近。

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