頭いいねって言われるたびに

 頭いいねって、いろんな子に言われてきた。それが本心なのかお世辞なのか、あるいはバカにしてるのか皮肉なのか、そんなのは正直どうでもいい。私は、頭がいいっていう表現それ自体がたまらなく嫌いで、怖い。

 私は、頭のよさのレベルを自分で選んで生まれてきたわけじゃない。だから、お前ブスなと言われているのと本質的には変わらない。褒めていようが貶していようが、そのどちらのつもりであったって、自分で選んだわけじゃないもので評されたって、そんなの。そもそも、頭がいいっていう枠組み自体が恣意的だ。いくらでも勝手に決められるものなんだから。そんなガタガタの線を添えられても気持ち悪いだけだし、不気味だし。

 大人もそうだ。大人も私に、いっぱい勉強してえらいね、なんて言ってくる。どうしたら私みたいに勉強するようになるだろう、なんて話し合ってる。しかも結構まじめに。でも私は、ただただ机に向かってるだけ。やらなきゃ、なんて意識もないし、頑張ってる、なんて気持ちもない。ほかの子が外で遊びたくなるみたいに、スポーツとかゲームをしたくなるみたいに、私は机に向かいたくなるだけ。でもそれだって、別に私がそういう人間として生まれてくることを望んだからってわけじゃない。私は、気づけば鉛筆を握る子として、いた。ここにいただけなんだ。なのに私は褒められて、ほかのある子はつばを飛ばされる。意味が分からない。

 それに勉強ができる環境だって、私が選んだものじゃない。気づいたら目の前にあったものだし。環境を変えよう、みたいな大きな文字を、本の帯かなにかで見たことがあるけど、変えたところで最初にあった環境の影響からは逃れられない。空は続いてる、同じ空の下で、みたいな表現はよくあるけど、それって環境も一緒でしょ。どこまでも続いてるし、変えられたと思っても、ただ見た目が違うだけかもしれないし。環境を変えれば、整えればみんなもっとできるようになるなんて、そんなの嘘だ。もしきれいに変えられるとして、それができるかどうか自体、運なんだし。できるということにだって、能力とかめぐり合わせとかっていう、どうにもならないものが必要なんだから。ちゃんと努力しろって、そういろんな子たちが怒られてるのを見てきたけど、それって、ある一定の量と質の努力は誰にだってできるって、努力と結果は結びつくって、そう言ってるのと同じでしょ。でも事実は違うじゃん。努力できるかどうかは、結局それ自体が運なんだし。結果も運だ。一定の入力が一定以上の出力になるわけじゃない。そういった実際をごまかしてるように聞こえるから、洗脳みたいに見えるから、だから嫌なんだ。おっかないんだ。

 本いっぱい読んでるんだね、賢いね、すてきだね、えらいね、なんてほほえむ大人もいた。頭でっかちになるぞって人もいたけど。でもこれだって同じ。読書に吸い寄せられるって傾向も、私が選択したことじゃない。気づいたときにはもう、本に手が伸びていただけ。それに、本なんて他人の考えたことでしょ。私が考えたことじゃない。悩んだり苦しんだりしたことじゃない。他人の思考に、発見に、命にシュッて線引いて、マーカー引いて、知的もなにもあるもんか。上辺だけの知性なんてインチキだ。私は、どれだけ読んでもなにも分からない。字面で分かったとしても、本当の意味では理解できない。だから賢くなんてない。結局、探してるだけなんだ。言葉の海のなかから真実を。本当を。目の前を。頭のよさのための読書なんて、豊かさのための読書なんて、よりよい人間になるための読書なんて、虚飾でしょ。頭のよさも豊かさもよりよい人間も、全部勝手な定義づけなんだから。自分を大きく見せて、他人を無自覚に見下して、そうして満たされようとしてるだけにしか見えない。あの子は賢いとか、立派だとか、そんなふうに言われるとイライラする。ぞわぞわしてしょうがない。差別はよくないとか、見た目で人を判断するなとか、生まれも育ちも関係ないとか、人それぞれとか言いながら、みんなみんな、頭のよさで他人をさばいてるじゃん。決めつけてるじゃん。気づけば抱えさせられていたものでさ。

 頭いいって言われるのが嫌で、だから勉強してることを、読書してることをなるべく人に言わないようにしたら、見せないようにしたら、今度はこんなふうに言う人が現れた。あなたは本当の意味で頭がいいんだよ、だってこんなにも優しいんだから、人の気持ちが分かるんだからって。そんなふうにすぐ面白い返しができるなんて頭いいんだなって。なに本当の頭のよさって。ほんとなにそれ。みんなが口にする優しさも返しも、最初から勝手に備わってたものだよ。私は別になにもしてない。ゲームのスキルみたいには選択してないし。最初に得ようとしたわけじゃないし。それに、仮にそれらを磨けるとして、そして私が自覚なく磨いてきたんだとして、磨けるっていう可能性自体、与えられたものでしょ。なのにどうして。じゃあもしその逆の性質を持っていたら、磨ける能力も環境もなかったら。みんな私を。

 もううんざりだ。頭のよさなんていう言葉。頭いいとか悪いとか、そんなもので他人を評して平然としていられるなんてほんと、体が熱くなるほどゾッとする。ちゃんと勉強しろ、みたいな怒鳴り声もそうだけど、頭いいねって、よく勉強してるね、賢いねなんて言う顔が浮かべてる、あの笑みが一番怖い。頭をよくしよう、よくなろうとか、頭のよさが大切だとかいう言葉や態度に出くわすたびに、逃げ出したくなる。頭いいねって言われるたびに震えるんだ。小さく丸まりたくなってしょうがない。

                               (了)

読んでいただき、ありがとうございました。