悔恨

 マウスに重ねた手のしわを見て、そうして首をごしごしと撫でたら、垢がほろりと取れました。自分の老いを、かすむ目でぼうっと見ております。

 今になって思うのは、若いときのことばかり。真実を、ありのままを語ってくださる人の言葉を、もっとちゃんと探せばと。聞けばよかったと。

 傾聴してはいけなかったのです。努力すればとか、こうすれば幸せになれるとか、日々に感謝しようとか、人間としてとか、成功するにはとか、豊かさとか、価値のあることをとか、そういった、甘ったるい類いの一切を。

 出逢えなかった。どうせ死ぬのにどうして笑っていられるんだって、そう呟いてくださる方に。あなたが恵まれているのは偶然なのにどうしてその偶然を他人にひけらかしてはほくほくしているんですかと問うてくださる方に。君がここにいること、そのことに意味や価値がどうして必要なんだと、そう睨んでくださる方に。甘言で唇をぬめらせていた方になら、それこそ数え切れないほど出くわしました。ですが、逢えなかったのです。真実を、それ自体を見ようとしていた方に。そういうお人には、本のなかですら稀にしか。すべては自分のせいなのです。

 もっと早く、それこそ十代二十代のときに、言ってくださる方に逢えていたら。いや。本当は出逢えていたのでしょう。ですが気づけなかった。いいえ。無視していたんです。回顧すればそう、実に多くの声を、言葉を打ち捨ててしまっていました。真実を、現実を、目の前を知っている気になっていたのです。目玉は病気で、老いで曇りました。ですが元々、もやでいっぱいだったのです。答えを持っていたんですから。ただただ都合がいいだけの、歪んだ答えを。

 ここまで打つのに一時間半。一時間半かかりました。一時間半。残りわずかな瞬間をこんなふうに使いながら、聞けばよかったと、聞こうとするべきだったと、絶えず呟いております。ごまかされてはいけなかったのです。あたたかい光へ光へと、歩いていってはならなかったのです。近づけば近づくほど、それが身を滅ぼす炎であること。たとえ冷たくとも、どれほど寒くたって、その偽りの熱には背を向けなければならなかったというのに。

 もう手遅れなのです。じきに焼けて消えてしまうのに、何一つ知らずに、私は。自分で自分を欺いておりました。他人に欺かれながら、笑っていたのです。

 耳を傾けるべきでした。本当を語ってくださる方の声に。そういった方の言葉を、私は読むべきだったのです。

 心地よい言葉、共感に満ちた言葉、ぽかぽかする言葉には、嘘とごまかしと、防腐剤が入っていました。ですが、腐らねばならないのです。腐ってしまうものは。

 残念です。本当に。すべては過去という、触れることも見ることも、向かうことも敵わない、存在していないところへと、打ちやられてしまいました。

 自分でしたのです。やってしまったのです。この手で。これまでなしてきた私のすべてが、地獄の体現でありました。

 どれほど仰いだところで、空はもう見えません。

                               (了)

読んでいただき、ありがとうございました。