自己規定という名の呪い

 自分を規定せずにはいられないんですねと、その人は悲しそうに微笑していました。

 他者による規定には怒り、悲しみ、傷つき、抵抗するのに、自らによる規定には一切逆らわない。それどころか、積極的に自分で自分を決めようとする。線を引き、色をつけようとする。自分というものに言葉や概念を、価値観を感覚をあてがって、新たな、自分だけの区分を創り出しては設定し、そこにその身を配置する。つまりはそういうことなんですねと。

 その人は言いました。他人があなたという存在を規定することと、あなたがあなたという存在を規定することの、いったい何が違うのかって。規定したのが自分だからといって、なぜそれが規定というものを正当化するのかって。他人の規定は駄目だけど自分の規定は構わないとは、果たしてどういうことなのかって。いかなる規定であろうと規定は規定ではないのかって。存在が存在を規定することそれ自体に対する疑いを、自分は持っていると。誰が誰を規定したところで、規定である限りは呪いだと。呪縛だと。すべては呪文であって、あなたは呪われていると。

 相手の人は何か熱心に言い返していました。私は少し離れたところから、その低い声をぼんやりと聞いていました。

                               (了)

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