あの人
あの人ならどう書くんだろう。
そう思った。広い公園の隅の、石のベンチに腰かけて、目の前の夜をぼうっと見つめながら。
何も浮かばなかった。一つとして言葉は出てこなかった。でも、あの人なら。あの人なら、この感覚を、心を、どんなふうに。
スマホを取り出して、その人のところへ飛んだ。今日は更新されてなかった。太ももに載せて、空を見上げた。星はなかった。
一人じゃなかった。こうやって仰いで、風を感じて、虫の気配に抱かれる。あの人の言葉みたいに。あの人のつくった言葉と同じようにやってみて初めて、初めて自分が一人じゃなかったこと、知った。いろんなことが、あの人の言葉通りだった。なのに。精神はこんなにも独りだった。
鼻をすすった。肩で目元を拭った。そうしてまた、鼻をすすった。
声をかけることはできない。自分の声をどれだけ聞くことができるようになったとしても、あの人の声を欲していること、表すことができない。伝えられない。一つとして。
スマホにこつこつ爪を立てながら、あの人の言葉を、舌の上で転がした。
(了)
読んでいただき、ありがとうございました。