世界観

 描かれた世界観によって、目の前はすっかり覆い尽くされています。それどころか、その世界観に合致しない存在は、そこにいると世界観を破ってしまう存在は、レッテルを貼られ、場所によっては狩られています。

 見ない聞かない考えない。あったとしてもつもりだけ。願望や希望、明るさで塗りたくりながら眺めることを見るとは言わない。聞きたいことだけに、やまびこだけに耳を傾けることを聞くとは言わない。心地よい意見や思考ばかりに寄り添うことを考えるとは言わない。

 眼前を偽りにする世界観は、気づけば提示されています。与えられた作品。創作物。その登場人物であることをやめようとしない限り、一切は欺瞞に満ち続けるでしょう。唇は、言葉という光ですぐに辺りを照らそうとする。この地獄のなかで、すがれるものは世界観しかないからです。

 騙し、欺こうとする世界観からの脱却。けれどもう手遅れです。気持ちのいい世界観にふらふらとついていった私たち存在は、すでに行動してしまいました。やり直すことはできません。過去には戻れない。あるのは今という目の前だけだからです。今さら抜け出そうとしたところで、地獄の山はより深く、地獄として紅葉しています。

 このまま温かく、優しそうに感じられる気持ちのいい世界観のなかで何もかもごまかしながら生き続けるか。それとも背を向けて歩き出し、地獄の燃えるような山を求めて苦しむか。後者を選ぶことは絶望的で、前者は地獄にとっての雨とお日様。そうでしょう? 希望や願望というナイフで眼前を削ごうとすればするほど、自らの指も甲も、いずれは手首さえ切ってしまうんですから。でも自分が血まみれになっていることも、削がれた場所に立っていた人を一緒に切り刻んだことにさえ、その握力は気づかない。より強く柄を握り、気持ちよさに浸り続ける。結局、世界観は日々補強され続けています。正しさとかよりよいとか、当たり前とか当然とか、利益なんて名の工具が用いられて。音は常に鳴っています。重たく、甲高い響きが。

 もうどうにもなりません。この世界観は、確かにすがれる唯一のものです。けれど、全ての存在の重さに耐えられるほど頑丈ではありません。本当は、薄い板一枚でできているんですから。この一枚にとっては、気持ちよさという、願いや欲という支えが全てです。だからいずれ、倒れるときもくるでしょう。身を預けていた存在一切と共に。でもそのとき、そのときには全てが遅いんです。

 世界観が私たちを殺しています。存在は、世界観によって消えていくんです。

                               (了)

読んでいただき、ありがとうございました。