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先輩にあいさつしたら舌打ちされた話

今の中学生たちを見ていると、上下関係は存在するもののそれは極めて緩やかなものに見えてならない。もちろんその組織や人によるのかもしれないが、僕が中学生だったときの今から約10年前と比べると、今の下級生たちは随分過ごしやすそうである。

僕が中1の頃、ぶかぶかの制服を着て歩く通学路には油断も隙もなかった。先輩と思われる人間には誰彼構わずあいさつをしなくてはならないという謎の風潮があったのだ。

僕は真面目な学生だったので、あいさつを怠ることはなかった。が、こちらが気を張らずにクラスメイトと談笑しながら歩いていると、不覚にも先輩の存在に気づかないことがある。特に談笑する相手が女子生徒だった場合はなおさら視野が狭くなっていて危険だ。

僕はそれで当時、学校一のヤンチャな2年生の先輩に目をつけられてしまったことがある。その時に女子生徒と談笑をしていた訳ではないけれど。

僕を含めて男子3人で帰りの道中を歩いていたときのことである。今でも忘れやしない、すこぶる大きなハスキーボイスで怒鳴られたのである。

「ヴォイ!!!!!!!!」
振り向いた先には眉毛が削ぎ落とされ、秀吉の茶室みたいな明るい髪色に染めた男の先輩がいた。前々から怖い人がいるとは思っていたが、実際に声をかけられるのも初めてだし、状況が状況なので心臓がギュッと縮むような感じがした。友人たちの顔からは血色が消えていく。

「うぉめぇら、なんでアイサツしねぇの!?」
先輩はビリビリに破かれたジャージのポケットに手を入れて、こちらに近づきながら怒鳴るようにして言ってくる。

おお、誰か何とか言ってくれ……と思ったがみんなビビって何も言えずに変な沈黙が起こりそうだったので、今世紀最大の勇気を振り絞って僕は先輩に謝罪した。

「す、すいませんでした!気づきませんでした!」
つい数ヶ月前まではランドセルを背負っていたのに……あの平和な世界を懐かしむ余裕なんてものもなく、僕は下山した日の夜みたいに足をぶるぶると震わせて涙目になった。とにかく必死だった。すると友人二人も僕の後に続いて「すいませんでした」と謝りだした。

ただ、そう簡単に許してくれないのが「卍道」というものである。

「うぉめぇら、明日全員まとめてタイマン張るからなぁ!?」
彼の言うところの「タイマン」とは何のことなのか分からなかったが、とにかく「すいませんでした!」と謝りながら早足でその場を去った。先輩の鋭い視線を背中に受けながら、身を縮めてまっすぐな道を歩いた。いや、もうほぼ走った。

もうここまで来れば非武装地帯だろうといった場所になって、我々はぜーぜー言いながら再び口を開いた。

「やばかったね……」
「やばかったねぇ……」
唯一の救いは被害者が僕一人ではなかったことである。気持ちをお互いに共有できると、なんだか重い身体がスッと軽くなる。

「ていうか、『タイマン』って何?」
真面目一辺倒な小学校人生を歩んできた僕からすれば「タイマン」なんて言葉は全く聞いたことのないものだったので、疑問を単純に友人へぶつけた。

「タイマンを張るってさ、一対一で喧嘩するみたいな感じだと思うよ」
僕は先輩が言っていた言葉を思い出す。

うぉめぇら、明日全員まとめてタイマン張るからなぁ!?

眉毛なしの先輩

「全員まとめてタイマン張る」とは???? 
すごい矛盾である。これほどまでに矛盾した言葉が未だかつてあっただろうか。「今夜はランチにしようか」みたいな、全く意味の分からぬ文章である。

友人がすごい勢いで口を開く。
「『タイマン』の使い方間違ってるし、眉毛ないのクソダサいし、あのビリビリのジャージはカッコいいと思ってるんか?ほんまにキショイわ」

おいおい、非武装地帯と我々が踏んでいるだけで、先輩がもしそこら辺にいてこの話を聞いていたら殺されるぞ。僕は周囲を見渡すが、そこに先輩の姿はない。止まらぬ友人の愚痴に激しく頷きながらも、後ろからチャリで僕たちを追い抜いていったそこら辺のオッサンにビビる始末である。

僕たちは帰路の途中で別れた。ひとり家に着き、沈黙の部屋に鞄を下ろすと、急激に怖くなった。それでも強気の自分が現れてはネガティブな感情に支配され、また強気になり、というある種の葛藤のようなもので堂々巡りしていた。

明日、タイマンかぁ……いや、タイマンって何だし。ボコボコに殴られちゃうのかなあ……殴られたら殴り返してもいいんだろ!?……でも絶対強いやん。眉毛ないし……

あまり食欲が沸かないまま食事を済ませたすぐあとで、被害者仲間の友人一人から電話がかかってきた。僕も彼もスマホは所有していなかったから自宅の固定電話にかかってきた。連絡網を通じて自宅に電話をしたのだろう。母に友達から電話だと言われて受話器を取る。内容は明日の朝、(怖いから)一緒に登校しようということだった。もちろん了承したし、それは僕にとってこのうえなくありがたい話だった。

夜が明けてほしくない。学校へ行きたくない。そんなことを願っても朝は来る。ただ、こちらとしても既に手は打っている。例の先輩のいない通学路かつ、絶対に活動していないであろう早朝を狙った。

僕たちの予想は見事的中した。朝、先輩と出会すことはなく、無事に教室まで辿り着くことができた。帰りも通学路に気をつけながら歩く。なんであの先輩のせいで遠回りしなきゃいけねえんだよ、と思いながらも「タイマン」を避けるには先輩と出会わないことが何よりも重要であった。

それから、その遠回り通学路が僕の定番ルートになってしまった。校門の前で例の先輩がオラオラ一人で歩いているときは、息を止めるくらい影を薄くして先輩を抜かさないようにゆっくり、ひっそりと歩いたこともあった。

ただ、僕は何かの予定で急いで帰宅しないといけない日があって、その日だけは例の先輩がいる最短ルートで帰らなくてはならなかった。

その先輩がいないことを願って一人その道を行くのだが、そういうときに限って「いる」ものである。先輩は僕が歩く道の先の神社の鳥居の前で座って僕を睨みつけている。やばい、これは正真正銘の「タイマン」状況である。

僕は失礼のないように急足を緩め、腹から声を出してあいさつをした。

「こんにちは!お疲れ様です!!」
オラオラしてるだけで疲れることなんてないだろと思いながらも、口から自然と出てくるあいさつの定型文。

先輩は僕のことをじーっと見ている。割に遠くから挨拶してしまったこともあり、僕が一方的に先輩へ近づきにいく構図になってしまった。あ、これはこのあとパシられるのか、あるいは「お前、この前の『タイマン』やん」となってしまうのか、ビクビクしながら歩いた。

「お前……いいあいさつじゃん」
あろうことか、褒められてしまった。先輩は相変わらずハスキーボイスで、無表情のまま声を出す。

「あ、ありがとうございます」
いいあいさつとは何か、その実態は掴めないし、どういったものがそれにあたるのか定義を教えてほしかったが、世界で最も近寄り難い人間と会話をしたくない。僕は返答をし俯いて道を歩く。後ろから何か言われるのではないかと身震いしたが、幸運なことに先輩がその後僕に何か声をかけることはなかった。

結局、その先輩はそれから数ヶ月後に何らかの不祥事を起こして少年院行きになったらしい。正直言ってすこぶる嬉しかった。治安は良いに越したことはないのだ。平和な学校生活の幕開けである。

平和な中学校生活が終わりを告げ、高校に入学したときは同じようなこと、あるいは先輩という魔物に干されるのではないかと半ば恐れていた。そんなこともあって中1のときのように、高校生になりたての僕は初めての登校で会ったことも話したこともない、おそらく上級生であろう制服を着た男の先輩にあいさつをしたことがある。

「おはようございますっ」
これから誰彼構わずあいさつをしなくてはならない1年生に戻ると考えると気が引ける。しかし、その先輩は僕に舌打ちで反応してきたのである。

「チッ」
確かに聞こえた。はっきりとした舌打ちだった。しかしそれは、「誰彼構わずあいさつをしなくてもいいのだよ」というメッセージであった。

いいあいさつをすると評価された僕が、とうとう舌打ちをされるなんて……少しショックだったが、先輩らしき人間全員にあいさつをしなくてもいいことに気づき嬉しくもあった。

高校入学当時の僕の髪の毛は訳あって坊主だった。その訳というのはまた話すと長くなるのだけど、簡単に言えば春休み中に怠惰な生活を過ごしていたら父にブチギレられて刈り上げられた、所謂「反省坊主」であった(なんだそれ)。

だから高校デビューなるものは勿論できぬ。ザラザラとした立つくらい短い髪の毛を触って毎日登校していた。

僕は高校で弓道部に入部することになるのだが、その髪型経由のバイアスで野球部や陸上部によく勘違いされたものである。

「野球部なの?陸上部なの?」
と質問をされて「弓道部」と答えたときの彼らの表情には数多くの疑問符があった。しかも、何故弓道部で坊主なのかを聞いてくる訳もなく、「好んで坊主にしている弓道部の人」という変な目で見られることになった。反省坊主なんだよね、と思春期だった僕が言える訳もないし。

あれは登校中のことであった。髪の毛というのはそう簡単にすぐ伸びやしないから、まだ伸びたての坊主時代だったときに野球部員の1年生に声をかけられたことがある。

声をかけられるといっても、それは「あいさつ」である。元気溌剌であいさつのお手本のような声で、僕の頭頂部めがけて放たれた言葉。

「おざまっす!!」
いや、野球部ちゃうし、先輩でもなんでもなく声をかけてきたこの坊主とはおそらくタメだし……

僕はそのあいさつに舌打ちで答えてあげた。それが彼のあいさつの呪縛を解くきっかけになるから。いや、違う。坊主だからといって野球部と断定するなんて極めて下劣な行為だと思ったからか。

こんな性格悪き高校1年生(僕)は反省坊主で当然である。

あれ?そういえば舌打ちされた先輩も坊主だったような気がするのは気のせいなのだろうか。

とりあえず、あいさつの返答を舌打ちでする人間はみんなまとめてタイマンですね。








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