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パイレーツ・オブ・カリビアンごっこ

ぴかぴかの1年生というのは、世知辛いその世界に揉まれていないから最強である。言わば世間知らず。昨年の阪神タイガースよりもサバンナのライオンよりも、何も知らない人間は強い。

僕が小学校へ入学したときもそうだった。ボクは強いんだ。ボクはジャック・スパロウになれる、と思い込んでいたのだ。

「ジャック・スパロウ」を5年ぶりくらいに聞いたという人もいるだろうから、ここで改めて説明すると、『パイレーツ・オブ・カリビアン』という海賊世界の映画に出てくる主人公である。誰が演じたんだっけ、トムクルーズじゃなくて……そう、ジョニー・デップだ。

赤いターバンを巻いてギラギラとした目をしている海賊に、小学1年生だったときの僕は憧れを抱いていた。パイレーツ・オブ・カリビアンの映画は家の近くのレンタルビデオ屋で両親に懇願して全話観たし、何度も見返したと思う。

ボクもジャック・スパロウみたいになって、この世界のありとあらゆる財宝を手にするのだ!小学生にして酒池肉林を求める欲深さには自分でも驚いてしまう。

当時そこらへんに海賊がいたら速攻で弟子入りし、今やこんなくだらぬエッセイを書かずにカリブ海に彷徨う海賊になっていたはずだ。が、幸か不幸か現代の日本に海賊はいない。自ら海賊という道を切り拓いてもよかったのだが、海上保安庁とかいうラスボスには確実に勝てないと判断した僕は、大人しく学校に通う毎日を送っていた。

とはいえ諦めきれぬ夢、「海賊」。両親にディズニーランドへ連れて行ってもらい、カリブの海賊というアトラクションに乗ったときの、あの異様な高揚感を忘れることはできなかった。

おそらく頭が良い人間なら、ここで海賊について調べてみよう!と言って図書館に通い詰めて海賊博士になるのだろうが、海賊同士の戦闘バトルロワイヤルをしたい僕には文字など不要。今すぐにでも戦いたいのだ。いや、戦わせてください。

美味しい給食を食べた後の昼休み、たらふくに食べてぱんぱんになった腹を抱えて、酔い潰れた海賊のように千鳥足になった僕は仲のいいクラスメイト5人くらいに提案をした。

「パイレーツ・オブ・カリビアンごっこしようよ!!」
僕がそう伝えたときの彼らの頭には疑問符が浮かんでいた。ジャック・スパロウの手下の数くらい「?」が多かったと思う。

「なにそれ」
友人の一人に案の定、質問をされる。

「チームに分かれて戦うんだ!まあ何してもOK!」
海賊にルールも糞もない。それがパイレーツ・オブ・カリビアンごっこである。

「楽しそう!やってみよう!」
どうしてこれに賛同してくれたのかはいまだに分からないのだが、彼らも少なからずジャック・スパロウに憧れていたのだろう。

試合開始の前に5人グループでチーム分けをしなくてはならない。男2人、女3人という比率だったので、僕は分かりやすく男女別で戦うことを提案した。

「いいね!そうしよ!」
女の子の一人がそう言ったとき、戦いが幕を開けた。

このパイレーツ・オブ・カリビアンごっこに乗り気だったのは僕だけではなかったらしく、いきなり女の子が僕に殴りかかってきた。しかも手加減なしで僕の右肩目掛けて鉄拳が飛んでくる。

「痛っっっっ!!!」
僕の右肩にジャック・スパロウへ入れ替わるスイッチがあるかの如く、気づけば「この女がああああ!!」とその女の子の右肩目掛けて殴りかかった。しかし、僕は紳士なので軽く殴る程度である(※紳士は女性を「女」と言わない)。

「クソォぉ!この男めぇぇえ!!!」
今度はその女の子の瞳がメラメラと燃えている。それ、どこで覚えたんですかと言わんばかりの飛び蹴りがやって来る。やば、思ったより強敵。というか勝てる気がしなかった。

気づけば僕は逃げていた。ジャングルジムまで全力で走り、血相を変えた女の子に背を向けて必死になって冷たい鉄を握って登った。もはや「逃走中ごっこ」に様変わりである。

「逃さねえぞぉおおおおお!」
この遊びが逃走中ごっこになり得ない理由は口悪く戦うところなのかもしれない。逃走中のハンターは何も話してはいけないのだ。

彼女は思ったよりも速いスピードで追ってくる。仕方ない。ここで決着をつけるしかない。僕はジャングルジムの上で決戦することに決めた。脳内にはパイレーツ・オブ・カリビアンの映画でよく流れるあの音楽が流れている。さっきまでのぞいていた太陽は雲の間に隠れ、不穏な風がジャングルジムの上に吹いていた。

僕たちは地上5メートルほどの空の下で殴り合った。左手をジムに、右手で相手の身体へ攻撃。各々そんな感じだった。ここから落ちれば地面という名の海底へ真っ逆さまである。怪我は必至というところだろう。

今思うと非常に危険なことをしていると思うのだが、当時の僕が危険性をメタ認知することはない。3分くらい決闘をしていたら、息が切れてきたので「一旦、休憩しよう!」と言って、僕たちは休戦協定を一時的に結んだ。まあこんなこと映画ではあり得ないのだが、映画もフィクションだしね。

「ハア…めっちゃ疲れるけど、めっちゃ楽しいね」
僕がそういうと、彼女も「ほんと、そう」と息を切らしながら微笑んでいる。
僕たちはジャングルジムの1番上に腰掛けて、グラウンド一帯を見渡しながら息が整うのを待った。

そのジャングルジムからの景色はいまだに覚えている。最初は僕たちを含めて5人で始まった決闘が、気付けば学級の3分の2くらいのクラスメイトたちが参加しているのだ。つまり、20人くらいの小学1年生が男女に分かれて殴り合っているのである。それはカオス以外の何者でもなかった。

いつの間に膨れ上がった軍勢に、僕は俄然燃えてくる。

「よっしゃっ、再開だ!!!!!」
再びこのジャングルジムで闘いが始まる。が、相変わらず手強い相手であったので、僕は再び逃走を試みる。いや、これは逃走ではない。一人では勝てないと悟ったのである。僕は30メートルくらい走って、ちょうど一人の女の子を倒した男の子の友達に声をかけて参戦してもらったのだ。これで2対1の構図。この闘い、もらったぁあ!


キーンコーンカーンコーン 
キーンコーンカーンコーン


これで終結?そんな…… 闘いは短かった。通常の昼休みと同じ時間なのだが、濃密な時間ほど早く流れるものはない。

「終わりにするかー……」
僕は隣にいた友人にそう言った途端、後ろからザザザっという音がした。後ろを振り向くと僕は新規参加の女の子から胸を強打されていた。「ラブストーリーは突然に」くらい突然の出来事である。しかしそれは恋のような、心理的なものではなくて物理的なものである。当然痛みを覚える。

「あの日あの時あの場所で君にどつかれなかったら〜」という感動的な世界線は全くなく、怒りの感情しか湧かない。
「不意打ちしやがって!この汚い女がああ!!」
そこからはもう、このごっこ遊びに時間という概念はなかった。
男女それぞれ5,6人くらいの束になって再び闘いになる。グラウンドの砂埃が風に舞い、視界が悪い。授業開始5分前のことである。

「おい!!お前ら何してんだよ!あぶねえだろ!しかももう授業はじまるぞ!!」
僕たちの攻防はその一言で急に止まる。声の発した先は、この学校で1番怖いと噂の中年女性の先生であった。

これはやばい。砂埃は落ち着き、異様な沈黙と冷や汗が流れる。

「いいからとりあえず行け!教室に戻れ!」
僕たちは逃げるようにして教室へ戻った。今度は男女束になって先生にかかれば倒せそうな気もしたが、逆鱗の前になす術もなかった。

チャイムが鳴った後、ギリギリで教室に戻り、何事もなかったかのように国語の授業を受けた。手を洗う時間もないので、手にした鉛筆が砂っぽくて不快だった。だがそれより不快なのはこのパイレーツ・オブ・カリビアンごっこをもうできなくなってしまうのではないかという不安だった。

1番怖い先生に目をつけられてしまえば、もう同じことはできない。ジャック・スパロウでも、あの先生には敵わない気がする。

案の定、帰り学活の際に担任の優しい女性の先生が珍しくキリッとした顔をして「今日の昼休み、何してたんですか?」と教卓の前でクラス全員に向かって話を切り出してきた。

もちろん、誰も何も答えず、長い沈黙が続く。

「3年生のお姉さんから聞いたんですけど、殴り合いをしていたらしいですね」
担任は淡々と述べた。その抑揚のない言葉の中には怒りと呆れた感情をしたためているように見える。

今思えば小学1年生に対して、「殴り合い」という言葉を使うのは適切ではない気がするが、我々がしていたこのごっこ遊びは殴り合い以外の何者でもなかったのだ。ただ、当時としてはその「殴り合い」という言葉にひっかかっていた。あれはパイレーツ・オブ・カリビアンごっこであって、単なる喧嘩でも殴り合いでもないのだ。

それにしても先生の言う「3年生のお姉さん」とはいったい誰なのだろうか。まさかあの怖い中年教師を「3年生のお姉さん」と呼んでいるのだろうか。変なメタファーだ。

「絶対にもうやらないでください。みなさん、怪我がないの、奇跡です」
怪我がないといえばそれは嘘である。奇襲攻撃で女子に殴られた胸の辺りが痛む。もう一度言うが、物理的な痛みである。やはり卑怯だ。今すぐにでもやり返したい。

「もうやらないと約束してください。誰ですか、最初に始めた人は」
皆が一斉に僕の方を向く。

「なつきさんですか?」
僕の心臓の鼓動が早くなる。
裏切り者があああ!と叫んで1対30の構図で今にも戦いたかったが、僕は昼休み、自分の実力を知ってしまったのだ。

「あ、、まあ、はい」
嘘をついても無駄であるこの四面楚歌状態では正直にしか生きられなかった。

「約束してください。もうしないと」
「あ、、はい」
これにてパイレーツ・オブ・カリビアンごっこ禁止令が敷かれ、僕はまた平凡な毎日を過ごすことになった。

禁止令が敷かれた後も、あの楽しさをもう一度したいという感情が先立ってジャングルジムの戦いをした女の子や、奇襲攻撃を仕掛けてきた無礼者に再戦願いを求めた。が、彼女たちが首を縦に振ることはなかった。

強かったボクは消え失せ、童心と無敵の魂は今もカリブ海に沈んでいる。


【追記】
中学3年生の頃、『るろうに剣心』にハマって剣術で全校生徒を罵倒する夢を見たのは、また別の話である。












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