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泥棒ばなし

朝からマンションの前にパトカーが停まっており、何かあったのかなと思いながら出かけたところ、夕方に知り合いのマダムにお会いしました。
この方は同じマンションに住む犬友達で、何かと心やすい間柄です。
一緒にエレベーターを待ちつつ話していると、急にマダムは声を低くしてささやきました。

「知ってる?泥棒が入ったって」
「えっ、どこに?」
「一階のお宅。ほら、外車の」


それだけでどこを指しているのかわかるのは、ご近所ならではかもしれません。
そのお宅にお住まいなのは、さる企業の社長さんで、一年ごとに乗り換える高価な外車で有名な方です。

「家にも昼間、警官が来たわよ」

マダムはどこか嬉しげに告げ、スリリングにそのやり取りを再現してくれました。

警官によると、自宅だけでなく駐車場の車も同時に荒らされており、しかもあれこれ抜かりがないため、犯人たちは事情に詳しい者か、なんにせよかなりの手だれだそうです。
見慣れない人間に気づかなかったか、一軒一軒聞いて回るとともに、住民に注意を促しているとのことでした。

私たちの家にはそんなプロ集団に狙われるようなものなどあるはずがない、でも気をつけるに越したことはないですね、と話し合ってマダムと別れました。



怪我人が誰も出なかったらしいのは幸いでしたが、自分の暮らすすぐ側で犯罪が行われたとなると、気分が落ち着かないものです。

物語の中の泥棒ならば、ロマンチックだったり滑稽だったり、時には応援したくなるほど魅力的でも、現実ではそうもいきません。

落語の世界では泥棒噺は縁起が良いともされていますし、それこそ『締め込み』『出来心』『釜泥』など、大笑いさせてくれる泥棒たちが立派に主役を張っているのですから、どうかそちらの世界でのみ活躍してほしいななどと思います。


落語と泥棒といえば、不世出の落語家・立川談志さんのこんなエピソードは有名です。

空き巣に家中をめちゃくちゃにされた談志さんは、それ以来ご自宅の机の上に、こんな手紙とお金を置いていました。

泥棒さん江。
ここには一切、泥棒さんが喜ぶようなものがありません。全て資料と呼べるようなものですから、決して荒らさないでください。
その代わり、お駄賃として、二万円を持ってってください。

困り果てての策とはいえど、これ自体がよく出来た噺のようで、笑える上にさすがに粋です。


こんな話の向こうを張れるのは、作家フランソワーズ・サガンが、パリの自宅で居直り強盗の被害に遭った時の話でしょうか。

サガンは押し入った不審者に拘束され、なんとたった一人で、犯罪者と差し向かいになるのです。

彼女が明らかにしている一部始終によると、宝石類を手にした賊は、それが本物かどうかを尋ねてきました。
彼女はひるむことなく返します。

「私が誰だか知ってるでしょう。答えられるわけがないじゃない」

そして、椅子に縛り付けられたまま、泥棒がなお部屋中を物色するのを見守ります。

「あんた、ろくなものを持ってないね」

こんな言葉にもあっさり一言。

「それは観点の問題ね」

私なら百年経っても真似できそうもない、素晴らしい肝の座りようです。
結局、金銭面の被害は出たものの、サガンは身を傷つけられることもなく、後に、怖くなかったのかと尋ねられた時も、こう答えています。

「いいえ。私はいつもそんな風です。人生ではもっと恐ろしいことも経験しましたし」

なかなかに含蓄のある言葉です。


私の親戚には震災のため家が半壊した人がおり、悪いことに、揺れに見舞われたのは、屋根の上での補修作業の最中でした。
ひどい揺れが収まるまでの数十秒間、どうにか地上への転落をこらえたそうですが、ほとんど恐怖は感じなかったといいます。

「船はあんなものじゃなかった」

その人は戦時中は海軍に所属する船乗りでした。戦争については決して語らない人でしたが、その一言だけで、多くのものが浮かび上がる気がします。

サガンしかり私の親戚しかり。
人はあまりに壮絶な出来事を経ると、こんな無感覚ともいうべき境地に達するのか、それなら経験を積むことの良し悪しとは、などと考えてしまいます。


先ほどまたマダムに会うと、泥棒はまったく捕まる気配もない、警察も何も教えてくれないし、とご立腹の様子でした。

フランスの劇作家・モリエールは『贋才女』のなかで登場人物に

あなたの目は、こっそりと私の心を盗む。
泥棒!泥棒!泥棒!

こう叫ばせましたが、現れるならせめてこんな泥棒だけにしてもらいたいもの。
けれどそちらもまた別の危険がありそうなため、やはり泥棒と呼ばれる方々とは、なるべくお近づきにならない人生が一番かもしれません。

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