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『My Funny Valentine』

「はい、これあげる」

今朝、顔を合わせるなり友人が差し出した小さな包み。

「え、チョコレート。なんで?」

尋ねる私に、またか、という顔で答えてくれます。

2月14日だから」

バレンタインデー
私が行事ごとにことごとく疎いのは周知の事実で、友人も、私からのプレゼントなどははなから期待していません。
今度お返しするから楽しみにしてて、と友チョコをありがたく受け取っておきました。


こうして知らぬ間に当日を迎えていたわけですが、バレンタインといえば、で私が真っ先に連想するのは、名曲『My Funny Valentine

ミュージカル〈Babes in Arms〉(1937年)の劇中曲で、サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、マイルス・デイヴィス、フランク・シナトラなど、綺羅星のごときアーティストたちにカバーされている、ジャズのスタンダードナンバーです。

どのアーティストによるバージョンも、それぞれに甲乙つけ難くはあるのですが、個人的に一押しはチェット・ベイカーでしょうか。
この、歌詞のわりにメローな曲調と、たゆたうような雰囲気を完全にものにできるのはチェット以外にいない、と独断と偏見で断言します。


私が初めてチェット版『My Funny Valentine』を聴いたのは10代の終わり頃だったため、当時はまるで良さが理解できませんでした。
好きどころか大嫌いに近いくらいで、なんて軟弱で陰鬱な、とげんなりして遠ざけながら過ごしてきました。

それが、いつしか最も好きになっているのだから、人間の好みの移り変わりは、本当に不可思議で油断できないものだと思います。


チェットがこの曲を吹き込んだのはごく若い頃で、周囲からはそのボーカルを絶賛されたものの、本人にそれほどの喜びはなかったそうです。
トランペッターとしての自負が強いわりに、評価されるのは、ボーカルや容姿の良さばかり。
その歯痒さと物足りなさゆえか、後にはめったに歌わなくなり、人生の最期も悲しいものとなりました。

けれど、彼はやはり不世出の素晴らしいミュージシャンであったと思います。
元々は黒人のものであったジャズを白人がプレイし歌う。その意味を、黒人のミュージシャンには決してできない表現で、大きな解答として提示しているように感じられるからです。

それだけに「ジャズミュージシャンで誰が好き?」という会話になった時、「チェット・ベイカー」と答えると、ああ、女性受けするしね、という反応を返されるのは残念です。
マイルスやコルトレーンは確かに最高だけど、他の基準の素晴らしさだってあるのに、と。


だからこそ、以前、日本とニューヨークを行き来する現代日本画家の男性と話していた時、この方がチェットの才能を絶賛していたことは忘れられません。
本場で浴びるように名演を聴く人には、やはりきちんとわかるのだと、自分のことのように嬉しくなったのを覚えています。

ちなみに、ニューヨークでジャズ漬けなんてうらやましい、あちらはどんな感じなんですか、とこの方に尋ねると、大変困った顔をされました。

「有名な店でもがらがらです。誰もジャズなんて
聴きません」

ショックを受けた私の、ではみんなは何を聴くのか、という質問の答えの夢のなさといったら。

「アメリカ人が聴くのは、ラップとかヒップホップだけですね」
「そんな。じゃあ、ジャズとかクラシックを聴くのはどんな人なんですか?」
「変態です」

自分も、ジャズクラブに行く、などと言えば必ず聞き返されるか笑われる、別に構いませんけど、とその人は笑っていました。


ニューヨークに対する美しいイメージの一部が壊れてしまったのは残念ですが、それでも私のジャズやチェット・ベイカー好き、『My Funny Valentine』が名曲であることは変わりません。

それでは、そろそろ定番の締めでおいとましましょうか。
みなさま、どうぞスイートなバレンタインを。

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