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音楽つまみ食い②

 フルートのレッスンで、小中学生のお子さんと話をしていると、学校での合唱機会が少なくなったのでは?という気がします。まぁ高校生は、音楽の授業を選択しているかどうか、で違うと思われますが。
コロナの3年間は別として、それ以前から「学校で合唱とかあるでしょう?」と尋ねると、うーん、とちょっと考えて、あんまりない…という返事が返ってきます。

私ももちろん学校の学芸会などで合唱はありましたが、小学校の担任の先生が、授業とは別に、一年ぐらいかけて合唱指導したり、という年もありました。
ただ、合唱どっぷり経験もしていて、当時住んでいた地域(姫路市)の児童合唱団に小学三年生から中学一年生まで在団していました。
この合唱団は、各小学校から希望者が受験。一次・二次・面接、と三段階のオーディションを経て、団員となるのでした。第二次ベビーブーマーならではの人数の多さで、私の頃は、おそらく全体で200名近く?は在団していたのではないでしょうか。(現在は少子化のせいか、希望者は入団できるそうです。)

後に、高校は音楽科へ通うことになった時も、音楽科だから合唱の時間があっただけではなく、普通科も含めた3学年全体合唱時間があり、ヘンデルのハレルヤなどを卒業式で全学年で歌う、という学校でした。
珍しいのは、神戸の学校だったせいか、高校野球の選抜大会で大会歌を歌うというお役目を、音楽科が担っていました。

率直に言って、合唱は”世界の音楽てんこ盛り”でした。
児童合唱団の場合は、児童合唱の為の曲もありましたし、日本の民謡から世界の民謡、黒人霊歌、クラシック音楽…などなどありました。
民謡の串本節(和歌山県)は、合いの手みたいな言葉が”パラパッパ パッパラー”というのは面白かったし、深い河(Deep River)は、黒人霊歌というものを初めて知った曲でした。オーストラリアの、ウォルシングマチルダの歌い出しは、英語だったのですが、今でも口ずさめます。

歌った曲そのものでなくても、合唱団での指導の先生(Y先生)の作曲に、「セロ弾きのゴーシュ」を元に作られたものがありました。それには、ベートーヴェンの交響曲第六番「田園」が織り込んであり、オリジナルはどんな曲なのかなぁ、と買ってもらったカセットテープは、ベルリンフィル率いるヘルベルト・フォン・カラヤンのものだったので、”からやん(←ここ関西風イントネーション)って変わった名前やなぁ”と話したら、叔母に”アンタ、カラヤン知らんの⁈”笑われたものでした。
うーん、10歳やし、知らなくても許してください(笑)。

さて、その指導のY先生は、オリジナル曲も何曲か歌ったのですが、クラッシック音楽も大好きだったようで、J.シュトラウス二世の「美しき青きドナウ」を、団の定期演奏会で歌ったことがありました。
説明不要な有名な曲ですが、美しいだけでなく、楽しさに溢れている曲で、ドナウ川を下る風景が変化していくように、転調(調性が変わっていくこと)しながら、最後は、ドナウ川を讃え、音楽が盛り上がっていきます。
歌った本番のことは、今でも感覚として覚えているのですが、お客様も、これまでにないぐらい心寄せて聴いて下さいました。

以前、合唱団の40周年記念誌にメッセージを、とご依頼頂き、私は次の様にコメントを送りました。

ー上手く歌おう、ではなく、ただひたすらに歌う。そこにそれまで経験したことのない”最高の時間”が生まれることを、11才の私は知りました。音楽は、多くの人と素晴らしい時をわかちあえる最良の方法です。

歌い終えた時、指揮をされていたY先生の目に薄っすらと涙が浮かんでいるのを見て、”あ、先生も同じ気持ちだったんだなぁ”と思ったのも覚えています。出演者と客席のお客様の心がピタッと一致すると、会場が何とも言えない特別な空気に満ちていくのです。
音楽と共に大切なことを教えて貰ったのは、この合唱経験だったと思います。
Y先生は既に他界されましたが、来年60周年を迎える合唱団のかわいい後輩達には、一曲一曲大切に歌って、良い経験をして欲しい、と心より願います。





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