小説を楽しむには共感力が必要だと気づいた話

フィクションを楽しむというのは、他人の人生に興味をもつこと。それは、自分とは異なる価値観や境遇の人を受け入れられる寛容さの表れだと思う。実際、小説を読むと共感力が高まるという研究があるらしい。

私は昔から小説が苦手だ。漫画やドラマもあまり観ない子供だったし、今でもそう。共感力が乏しくて、自分とは異なる考えや立場の違う人への興味や理解を示せないからなんだと気づいた。だから、友達も少ない。身の周りの他人にすら関心が薄いのに、作り話の人間のことなんてなおのこと関心をもてない。

プライベートでどうせ活字を読むのなら、心理学の本など実践できたり、知識を得られたり、役に立つ本を読みたい。小学生のころは伝記や辞書ばかりいろいろ読んでいた。辞書は例文を読むのがおもしろかった。意外と伝記でも感動はするもので、小学生のころ、ジャンヌダルクの伝記を読んで泣いた。

唯一といえるほど、まともに読んだ小説は、『赤毛のアン』シリーズで全7巻のうち3巻は読んだからハマった方だと思う。すごく素敵な作品ではあるけど、中学の朝読書で毎朝15分ずつ読んでただけなので、プライベートで読んだこともなければ、読み直す気もない。

ちなみに、国語の文章読解はとても苦手だった。登場人物の気持ちを問う問題とか謎だった。共感力が高すぎる人をHSPというらしいけど、私にその性質はないどころか逆なんだろう。人の気持ちを理解するのが難しいから、人の相談に乗るのも苦手だ。過去に自分も同じ経験をしたことがあれば話は別だが。

読書好き=小説好きという先入観があったり、国語が苦手だったりして、本にたいしてずっと苦手意識があった。でも、なぜか昔から本屋と図書館の空気感は好きだ。ワクワクするし、心安らぐ。よくよく考えてみたら、図書館の小説コーナーってごく一部だし、本って小説だけじゃないよね、と気づいたので、最近は怖じ気づかずに図書館を利用することに決めた。何より、図書館は無料だし、取り寄せもしてくれるから、本屋や通販より読みたい本が効率とコスパよく手に入る。

映画に関しては、本より手軽なのでフィクションであっても観るけれど、おもしろいと思える作品は限られている。小説にせよ映画にせよ、自分と同じような経験をしていたり、性格が似ていたり、価値観を受け入れられる登場人物なんてそうはいない。

『ハリー・ポッター』シリーズはわりと好きな映画で一応最後まで映画は観たし、1・2作目は何度も観ている。でも、あれだけ登場人物がいるのに、私は特に誰にも興味がもてず、感情移入はできなかった。世界観は好きだけど、これといってハマることはなかった。

フィクションの醍醐味って、自分の人生では経験できないことを疑似体験できたり、自分にはない視点に気づかせてくれることだ、とはよく言うものだけれど、私には異質な感性を受け入れられるだけの心の隙間や寛容さはない。

でも、ストライクゾーンは狭いけど、数少ない気に入った映画は繰り返し観ている。感動するときはちゃんと深く心を動かされるし、影響も受けやすい。

小説は文字だけから想像するから、読者の想像力と共感力にかかっているけれど、映画の場合、視覚的効果や音楽もあるから、「共感」だけがすべてではなくて、なんらかの「憧れ」や「好奇心」があれば楽しめるものだと思う。羨望であったり、ときめきであったり。




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