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文学に逃げる

突然ですが、
私は最近、他のnoterさんの影響もあって
日常の出来事で
勘違いをされた時や
明らかに阻害されたと感じた時に
(誰でにでもありますけどね)
俳句を作ることに挑戦します。

もちろん素人です。
季語くらいなら少し覚えています。
その限られた語彙の中
俳句を練っているのです。

話せずに 無言んで春の日 暮れていく

これが最近読んだ俳句です。

明らかにnoteの記事や俳句や短歌などを
自分で作るとカタルシスが取れてきます。
感じることを韻を踏んで書くと
心が馴染むのです。

なぜ、俳句を作る人が、詩(うた)を
作る人がいらっしゃるのか
少しずつ分かり始めた発見です。

韻文を書くと
明らかに、「しょうがない」などの
諦めではない気持ちが流れがさってゆく気がします。
楽になれます。

今日は半日の仕事でしたが
電話してもも一方的に切り上げられて
話したいことが言えませんでした。
それなのに日は暮れてゆく・・・。
虚しいです。
そんな気持ちを俳句に込めました。

俳句や詩は韻文です。
文章は散文ですね。

ちなみにドイツの詩人ゲーテは
散文より韻文の方が簡単だと言っていました。
私はそれは、嘘だろ〜と思っていたのです。

ゲーテの言いたいことは
こうです。
韻文はあるていど「言葉」を並べられれば
あとは読んだ人が勝手に意味を
心に勝手に浮かべて
感じることができる。
だからだいうことだそうです。

でも、散文、韻文どちらも
かける人はうらやましいです。

ゲーテのように天才ではないので
私は言葉も浮かんでこないのですが・・・。

本を読むこともそうです。
「私淑」という言葉があります。
本を読んでその作者の考えに
じっくり味わってそこから学ぶことでしょうか?
これも気持ちを落ち着けられます。

とにかく
文章を書ける。本が読める楽しみがある。
一見個人的な趣味に入るものですが、
共感するという点では
俳句や詩、文章など
自分のやり切れなさの気持ちを
向ける場所を得られるような感じがします。

ニーチェなら
世間に疲れたら
孤独に逃げろというでしょう。
それは虚しい意味で逃げろというのでなく
何かを生み出す(俳句、詩、noteなど)自分の
世界に戻れといっているのかもしれません。

そういう意味では
noteなどに自分の気持ちを
書き綴れることは
とても素敵な趣味を持っていると言えます。

私もできるまで
noteで自分の言葉を書き続けたいなっぁーと
改めて思いました。

素人の感想ですが
お許しください。

では また
おわり


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