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何者がなにを書くつもりなのか?についての考察


自己紹介

はじめまして。成人です。
私は現在、放課後等デイサービスの児童指導員として働いています。
前職は某専門学校デザイン学科の専任教員、前々職では某大学の技術系の職員として、情報システム課、そして広報課にて、主にWeb関連の業務に携わりました。この頃は論文執筆、非常勤講師、デザインの仕事、などもしていました。

なぜ児童指導員になったのか?

前職の学校が学生募集停止になり、転職活動の結果として採用されたからです。
元々、精神保健福祉に関心がありました。転職活動のとき、一般養成施設(私の場合は専門学校)に通って精神保健福祉士の受験資格取得を目指そうかな、と考えたことがありました。しかし、学費がかかります。そのお金がありませんでした。

お金を稼ぐ方法を考えていたら、ふと「自分の学歴・経歴から業界に飛び込むルートがあればなぁ…」と思いました。業界に入れば、あとは頑張るだけです。
私には教育学の学位(学士・修士)があるので、それを根拠に応募可能な仕事を探したところ、「児童指導員」という職業を見つけました。

児童指導員は任用資格です。この資格には条件がありますが、私の場合は「4年制大学や通信制大学で社会福祉学、心理学、教育学、社会学を専修する学部、学科を卒業すること」という条件を満たしていたため、採用されれば児童指導員として児童福祉の仕事ができるのではないか、と考えました。

結果として、採用されました。

なにを書くつもりなのか?

今のところは、次のような項目について書こうかな、と思っています。
なお、順序に意味はありません。

  • 児童指導員の仕事

  • 療育

  • 障害児

  • 教育

  • 専門学校専任教員の仕事

  • 大学職員の仕事

  • デザイン

  • 大学院生の日常

  • 大学時代のエトセトラ

  • 研究活動

  • 論文

  • 書籍

  • 時事ネタ

こんなものでしょうか。

なぜ書くのか?

正直にいえば、お金です。将来的に収益化を望んでいます。すなわち、複業です。
お金以外の理由を考えてみると、他人に面と向かって伝えても仕方ないかな、と思われることをネットで言語化すれば、読む人にとっては、ほんの少しでも役に立つかもしれない、それは結果として、私自身の存在意義を肯定する根拠のひとつになるかもしれない、という希望的観測でしょうか。建前ですけれど。

当然ですが、対価としてお金を得るのならば、払ったお金(価値)に見合うコンテンツを提供しなければならない、と考えます。しかし、その価値が私にはまだわかりません。ほとんどは無価値になるでしょう。私ができることは、趣味ではなく仕事として記事を書く、という姿勢で臨むことだと思われます。

したがって、それ相応の労力・時間を使用して記事を書きたい、と思っています。書く内容によっては、用語に外部サイトのリンクを付けたり、出典を明記したりして根拠を示すことも想定されます。

投稿の頻度は?

理想をいえば、定期的に投稿したいところです。しかし、現職がシフト制なので、まとまった時間がいつとれるのか不透明です。したがって、不定期投稿になるものと思われます(言い訳)。それでも、毎日コツコツと調べたり書いたりする時間を設けるので、おおむね定期投稿になりそうな気配が感じられます。気のせいかもしれませんが…。

おわりに

私は教育学の学位(学位・修士)を取得していますが、実は教員免許を持っていません。もちろん、取得を目指していましたが、教職課程の同級生と合わなかったこと、ある合宿が宗教じみていたこと、排他性が高い集団だと(当時の私には)思われたことなどから、このまま続けたら病むなぁ、と思ったため、教務に出向いて辞退を申し出ました。

それを記事化したいなぁ、と思っていますが、いくらネットでも、誰でも閲覧できる無料公開は気が引けるので、いずれ有料記事として公開できれば、と思っています。

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