アラビアのロレンス:他人の物語に生きる

アラブをトルコから解放するためのイギリス人であるロレンスは、アラビア半島の部族をまとめて奇跡的な勝利をもたらす。もともと聡明で向こう見ずな自信家のロレンスは、戦いに勝利する度に、自我が肥大化していき周りの意見を聞く耳を失っていく。

自己効用感が最大限に膨らんだ結果、白人である自分の外見も顧みずに敵の陣地に無防備にも出かけてしまい、そこで捕まり拷問にあったことで挫折を味わうことになる。自分自身も他の人と同様に生身の人間であることを自覚することで、今度は一転して、軍事的な立場を放棄して、平凡な任務を与えてくれと懇願するようになる。第一次戦時中に自分本位な希望が通るはずなく、最終的には義務を全うするように説得される。

その際にも、ただ任務として事を遂行するのではなく、自分の主張を押し通して、トルコから取り返した土地はアラビア人のものに戻すという条件を突きつける。最後までロレンスは、誰のためでもなく、自分の考えのもとに突き進むが、結局戦いに勝利をしたものの、ロレンスが描いたアラビア人という名のもとで、トルコから収奪した土地に民主的な社会を築くという理想は一緒に戦ったアラブの民からの理解を得られずに簡単につまづいてしまう。

戦うこと自体が目的化してしまい手段を選ばずに遂行した自らの行い自体にシッペ返しを食らうようなクライマックスとなってしまった。憎むべき敵を作り出し、その敵からの解放という名の下に民を結集することができても、解放後に実現したい社会的ビジョンが共有されていなければ、何も成し遂げられないということがまざまざと突きつけられる。

賢くそして勇敢なロレンスがアラブ半島の砂漠の中を突き進む姿は、神々しくこの上なくロマンチックで魅力的だ。ロレンス自身もそんな自分自身の姿に自惚れていたのかもしれない。完璧な自分に対して、導かれるべき他者が存在すると。

映画の中では、ロレンス自身が抱える悩みは何も描かれておらず、自分にとって居心地がよい範囲において他者の世界へ介入する彼自身の姿が切り取られている。その証拠に自らの傲慢さが招いた結果にも関わらず、敵からの拷問から逃げ切った後に、自分はイギリス人であって、この土地に何の関係もなく、この戦いから退くと言ってのけてしまう。極限状態に置かれた時に、逃げられるところがあるなら逃げてしまうのは人間であり、それは誰にも責められるものでもない。だからこそ、宿命として逃げられない自らの日常の中で生きることが、本当に物事を変えて突き進みたい人にとっては必要なことではないかと、考えさせられてしまう。退路がない場合には、前に進んで考えるしかないのだから。

他者の世界観の中に入ることで、新しい視点を獲得し自分を豊かにすることと、その一方で自分の世界に軸足を置きながら自身の物語りを生きることを両立させることの大切さを考えさせられる作品だった。



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