レモンシャーベット

溶けていく氷と、今にも溶けそうな私の身体。ポタポタと汗が流れ落ち、私の体内の水分を夏の日差しは搾り取っていく。でも私の身体が干からびそうなくらい熱い本当の理由は日差しのせいなんかじゃなくて、隣を歩く彼のせいだと思う。

彼は私の友人と付き合っている。当時の私の恋人を含め、幾度か4人で遊んだ。私が恋人と別れてから、4人で遊ぶことはなくなったものの、今日のように大人数で集まってBBQなどイベントをするときは、顔を合わせることもたまにあった。

「そこで少し休もうか」
彼の言葉をきっかけに木陰で休むことになった。バツゲームで買い出しを任された私たち2人は、花火やお酒がたくさん詰め込まれたビニール袋を足元に置いて、こげ茶のベンチに腰をかける。
彼はコーラ。私はレモンシャーベットをコンビニで買った。木のスプーンで何度もレモンイエローの氷をざくざくとつっついた。プシュ。彼がコーラを空ける音と蝉の鳴き声以外、静かだった。
「京子ちゃん、髪切ったんだね」
「よく似合ってる」
私はその言葉に焦りと嬉しさと怒りを感じた。嘘つき。だって君は髪の長い女の子がすきだって言ってたじゃない。
「なんだか飽きちゃったから、切っちゃった。でも切ってから三ヶ月くらい経つけどね」
飽きてなどいなかった。ただ、私の曖昧な思いが、曖昧な思い出が髪に残っているような気がしたからだ。
「最後に会ったの、いつだっけ?」
彼は本当に意地悪だ。覚えているはず。それとももう覚えていないくらい彼にはあの日のことなんて何ともなかったのだろうか。
私は何だか暗い気持ちになって、ずっとずっと黙っていた。
「あの日にしたことは、浮ついた気持ちでも、悪ふざけでもないんだ。でも本当にごめん」
彼は足元に視線を落としながらそうつぶやいた。彼は私の大好きな声で、これからどんなひどいことを言うのだろうか。

あの日、彼は私にキスをした。幾度となく、私にキスの雨を浴びせた。大学から彼と2人きりで一緒に帰っているときだった。夕闇が迫った、あの5月の帰り道。隣にいた彼とちょうど目が合ったときだった。私は混乱でもなく拒絶でもなく、彼を受け入れ、彼に全てを委ねていた。それから息が乱れるほどのキスをして、何もなかったと言い聞かせるように、黙って歩いた。2人は秘密を遵守するように。最後に彼は連絡すると私に告げ、帰って言った。踏切を渡って。それ彼からの連絡を待った。待ちくたびれるなんてことはなかった。でも来ることはなかった。

「驚いたよ。でも嫌じゃなかったの、私。だって—」
「わかってるよ、言いたいこと。俺も京子ちゃんと同じだから。でも、俺には、恋人がいて、しかもその恋人は… 」
暫くの沈黙が続いた。レモンシャーベットはみるみる溶けて液状になってきていた。
「遊びでもいいじゃない。留美のことは私も大事だし。息抜きだって必要よ」
ハッキリ言って強がりだったかもしれない。でも友人を裏切っても、遊ばれてでもなんでもよかった。彼と一緒に溶けるようなキスがしたかった。
彼はひどく悲しげに微笑んで、私の頭をそっと撫でた。ごめんと顔にかいてあるようだった。
「そろそろ、行こうか。みんな心配しちゃうね」
ベンチから立ちあがり、荷物を持ち私に背を向け歩き始める彼。

謝るくらいならなんでそんなことをしたの。自分だって望んでいたくせに、彼だけを責める私はズルかった。
「失礼よ」
私は友人を欺いてもよかった。友人を傷つけていいとは思っていない。でも知らぬ間に堕ちてしまっていた。それほど、好きになってしまった。私は最低だ。自分ではどうにもできなかった。一人では抜けられない底なしの沼にどっぷりと嵌まってしまっていた。そんな私の一方的な理由で、友人に許してもらいたいなどという方が、彼女を馬鹿にしているみたいで私は嫌だった。好きになる前にどうして誰も知らせてはくれないのか。どうして気づかないうちにこんな深いところまできてしまっているのか。自分の気持ちに嘘はつけなかった。それは不道徳で理性的ではないと言われても。一種の過ちでもよかった。後悔しても。傷ついても。けれど、彼は勝手に私の蛇口を捻っておきながら、私に止め方を教えてくれなかった。だからといって私と一緒に溺れもくれなかった。夏だから、過ちもでよかったのに。夏だから、一夏の恋に燃えただけって片付けてもよかったのに。夏だから、私のこといっぱい傷つけてもよかったのに。

危険な恋を、一夏の過ちも犯せないような男は私は嫌いだと思った。私の涙と溶けたレモンシャーベットは同じくらいに悲しかった。


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