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知りたいと思っても、情報から逃げてしまう自分がいる

仕事帰りにお気に入りのブックカフェに寄った。
レモネードを飲みながら、何千冊もある本たちを見渡す。文字がない本が読みたいと思い、写真集を探した。
ウクライナの写真集が目に入り、ページを開いた。

私は、ウクライナに行ったことがある。
ヨーロッパに留学していた時、長期休暇を使ってウクライナを訪れた。リウネという街の近くにある、愛のトンネルを見たかったのだ。

紛争が始まる前ではあったが、それまでの旅以上に警戒しながら向かった。気を張っていたものの、乗っていた夜行バスから煙が上がったり、初めて所持品をぼったくられた(貴重品を盗まれなかったのが幸いだった)。

でも、思っていたよりも優しい国だと感じた。当時女子大生だった異国の旅人を、何かと気にかけてくれた。
英語がほとんど通じず、簡単なロシア語でしかコミュニケーションが取れなかったのに、会話を続けてくれた人、商品を探してくれた人、近すぎない距離感で接してくれた人たちを今でも思い出す。これまで20カ国ほど訪れたが、特に忘れられない国の一つになった。

だから、2022年2月にロシアがウクライナを侵攻したというニュースに酷く動揺した。
思い出の国の人々が、命の危険に晒されている。あの時出会った人たちは無事だろうか。
一方で、複雑な気持ちにもなった。旅中にウクライナの人と交流できたのは、ロシア語のおかげでもある。第二外国語で何気なく選んだロシア語の面白さに惹かれ、同時にロシアという国をより深く知ろうとした。
正直、思い入れのある国同士が対立している事実を、まだ受け入れきれていない。

他にも理由がある。この紛争を含めて、私はニュースをほとんど見ず、新聞も読んでいない。半分は怠惰で、半分は意図的に。社会人になり、パワハラの影響で適応障害を抱えるようになった。当時は身の回りのあらゆる情報がうるさく感じ、そんな生活から逃げたかった。以前より症状は落ち着いたものの、未だに自分自身を保つことに精一杯だ。

そして、私のキャパシティが足りない。戦争含めた社会情勢や行政、経済のこと。私はこれらに関する知識が明らかに不足している。学ぼうと、理解しようと思ってもうまくできない。

きっと高校時代の受験シーズンでピークが過ぎたのだろう。当時、成績や周囲の目を気にしてがむしゃらに勉強していた。決して無駄な時間ではなかったけど、もっと深く学べばよかった。理解することにこだわればよかった。社会科を暗記科目としか見てなかったツケが、今になって回っている。

その反面、文学や美術などカルチュラルなコンテンツにはどんどんのめり込んでいる。旅や大学での学びなどから、次第に面白みと心地よさを感じ、今では私の精神安定剤のような存在となった。10年くらい前までは、受験のためにひたすら排除してたものばかり。

それでも、自分のことでいっぱいいっぱいでも、社会を知る必要がある。自分がこの世の中で生活するためでもあり、これまで触れてきた大切なものや人、感情を失いたくない。

現状では何ができるだろう。それすら思いつかないくらいだけど、まずは知るを恐れないことから始めてみようと思う。


※下のリンクは過去に書いたエッセイです。

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