キャプテン村社

千葉県を歩き回って神社巡りとかしてます

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  • 雑談

    寺社関係ない話を思いついた時に書くやつ。

  • 農村を歩く

    千葉県内陸部を歩いたときの記録。

  • 千葉県の集落

    海や山の集落、農村、そして現在は開発された地域まで。具体的には字単位で記事を書いている。

  • 旧市街を歩く

    昔栄えてたんだろうなってエリアを歩いた記録。

  • 村の商店

    村の消費を支えていた商店・雑貨店。とっくに閉業しているとろこもあれば、現役で営業しているところもある。

最近の記事

鴨川市の棚田は大山だけではない

鴨川市の内陸部はとにかく山がちで、限られた土地を活用するために棚田が発達したと思われる。その多くは外部向けの固有名称もなく、ただそこで水を湛え米を育てている。ここ数年で耕されなくなった棚田も多いと思われ、この景色が見られるのもあとわずかかもしれない。一部ではあるが紹介したい。 メジャーな棚田鴨川市平塚・釜沼 大山千枚田 千葉県を代表する棚田。保存会が組織されていて、ライトアップもされるなど観光地としても有名。 行った日:2020/05/30 鴨川市二子 二子棚田 大

    • 富里市七栄 三菱財閥の別邸と実験牧場

      地理と歴史富里市十倉と同じく、広大な平地に馬を放牧していたエリアの一つ。江戸時代は佐倉藩直轄の内野牧として馬の生産が行われ、明治時代に開墾が始まった。火災や台風に加え、入植者が農作業に慣れない武士や町民だったため開墾作業は過酷を極めたという。 末廣別邸主屋 東屋 石蔵 予備知識 三菱財閥の創業者は岩崎彌太郎で、弟が彌之助(2代)、長男が久彌(3代)である。この土地は彌之助が購入し、久彌が農場を設置した。 佐倉藩直轄の内野牧は民間に払い下げられ開墾が始まり、これが難

      • 富里市高松 農村に鎮座する人気のスイカ神社

        地理と歴史成田←→東金、酒々井←→芝山の往来の中継点として栄えた村。かつては継立場といって、宿場から宿場へ荷物を持って往復する人馬の拠点だった。幕末になると横芝光町に木戸(門限で閉まる防犯目的の門)が設置され、佐倉から木戸小屋まで往復する拠点として重要な役割を果たした。交通の拠点として栄え、食事や寝床を提供する宿が3軒もあったそう。 風習として、藁で作った武者人形をくっつけた竹でチャンバラをする人形送りという行事が伝わっている。 馬頭観音香取神社道にあるもの普門寺Goog

        • 酒々井町墨・馬橋 千葉県を代表する酒蔵

          馬橋地区香取神社 相持院 馬橋天神 飯沼本家 金比羅神社 墨地区泉光院 東伝院 火の見櫓 六所神社 高野台観音堂 行った日 : 2022/08/19, 2023/06/10

        鴨川市の棚田は大山だけではない

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          酒々井町尾上・飯積 アウトレットの片隅に残された酒々井の歴史

          尾上地区正福院 双体道祖神 住吉神社 道標 飯積地区ヒカリモ 泉福寺 飯積の泉 伊豆神社 酒々井プレミアム・アウトレット 行った日 : 2023/06/10

          酒々井町尾上・飯積 アウトレットの片隅に残された酒々井の歴史

          富里市新橋 田んぼを見下ろす神社とお堂

          地理について地名の読み方はにっぱし。高野、立沢、八街市文違の水源から谷津を伝って水が流れ込む地で、古くから水害に悩まされてきたそう。そんな場所にも関わらず橋があったことを伺わせる地名が残っているのは興味深い話。また、隣の立沢地区に縁が深い千葉胤政の言い伝えが残っている。 麻賀多神社商店跡地蔵尊新橋環境保全会新橋観音行った日 : 2023/06/10

          富里市新橋 田んぼを見下ろす神社とお堂

          富里市中沢・新中沢 素敵な田園風景と商店

          立沢・新立沢二つの地区境が入り組んだエリア。市史にはかつてあった鴛鴦寺の伝説がまとめられている。 弁財天野仏麻賀多神社社殿があった頃の画像が残る貴重な参拝ブログ。 道標昌福寺妙見橋地蔵尊妙見神社宮門商店稲荷神社おしどりの里行った日 : 2023/06/10

          富里市中沢・新中沢 素敵な田園風景と商店

          富里市立沢・立沢新田 倉庫群に囲まれたのどかな農村

          立沢高野地区の隣の谷津にあたる。奈良時代の須恵器窯や城址など深い歴史がある。 観照院 稲荷神社 廃商店 薬師堂 とみちゃん 富里市のゆるキャラ。いつ誕生したのかわからないが、Wikipediaによると2005年には活動していたらしい。ふるさと納税でぬいぐるみが買えるとのこと。 立沢新田立沢の農民が享保より開墾した土地。 浅間神社 給水塔 行った日 : 2023/06/10

          富里市立沢・立沢新田 倉庫群に囲まれたのどかな農村

          富里市高野 六地蔵と六観音

          印旛沼方面から切れ込む谷津の最果てに当たる地区で、九十九里方面へ切れ込む谷津と最も近接するエリアの一つでもある。そういう立地も相まって水や蛇に関する伝承があるらしい。 高野六地蔵六観音白幡神社聖徳寺野仏白幡神社行った日 : 2023/06/10

          富里市高野 六地蔵と六観音

          富里市十倉・御料 2 埼玉からやってきた開拓者

          武州武州稲荷神社 商店跡 頌徳碑 金刀比羅神社 野馬土手 木製電柱 四区大久保利通が牧羊地に指定したのは一区、それ以外の二区〜五区では西洋式農法が行われた。地名はその頃の名残である。 服部大明神 この地域で開拓が始まった頃に若妻ばかり病死する不幸が相次いだ。占い師(日蓮信徒)に占ってもらったところ、その昔、奥州から移り住んだ老婆が病に苦しみ狂い死んだ(石には「半身不随」「自害」など具体的な言葉が並ぶ)祟りが原因だと言う。これを祀ったところ祟りは概ね収まったと

          富里市十倉・御料 2 埼玉からやってきた開拓者

          富里市十倉・御料 1 大久保利通肝入りの幻の牧羊場

          御料十倉の中心地である両国のすぐ北側に広がるエリア。御料とは御料牧場のことで、かつてこの地など付近で牧羊場が開設された。 高堀霊園 両国現在は十字路の名前としてしか残っていないが、十倉の中心地である。上総国と下総国の境界にあることからこの名がついた。 街灯 神武神社 富里牧羊場跡 Hamburger Shop B1 競走馬のふるさと千葉案内所 街並み・旧富里駅 行った日 : 2024/02/10, 2024/02/24, 2024/03/02

          富里市十倉・御料 1 大久保利通肝入りの幻の牧羊場

          八街市八街に・朝日 陸軍の滑走路跡

          八街に七区稲荷神社 御嶽神社 女化稲荷神社 實相院 朝日陸軍八街飛行場跡 行った日 : 2023/06/10, 2024/02/10

          八街市八街に・朝日 陸軍の滑走路跡

          八街市根古谷・岡田 風光明媚な塩古八景と八街一のB級スポット、そして白馬の呪い

          地理と歴史白井庄という荘園があった。1186年の吾妻鏡にはすでにその記述が見られ、成立は平安末期頃とされる。領域は八街市勢田から佐倉市馬渡、千葉市若葉区の一部で、鹿島川と支流弥富川流域に広がっていた。白井庄は当初比叡山延暦寺領で白井次郎常親が管理していた。常親は上総介広常に属していたため、広常が源頼朝に誅殺され没落、千葉常胤の孫である胤時が白井氏を名乗って支配するようになった。 白井庄に属する塩古郷は八街市根古谷・岡田、隣接する佐倉市七曲・西御門にまたがり、弥富郷とともに

          八街市根古谷・岡田 風光明媚な塩古八景と八街一のB級スポット、そして白馬の呪い

          八街市勢田・用草 鷹と白馬の神使像

          勢田薬師堂十二天教会 馬頭観音堂 清竜寺 薬師権現 天神社 用草地形について 上砂方面から始まる谷津と吉倉方面から始まる谷津が合流する地点にあり、近隣では比較的大きな集落である。谷津の向かいには根古屋と佐倉市西御門がある。 八幡宮 山本商店 ここから別日に撮ったもの。 斎藤考谷翁寿蔵碑 皇産霊神社(むすびじんじゃ) 真福寺 行った日 : 2022/09/03, 2023/02/25

          八街市勢田・用草 鷹と白馬の神使像

          八街市大谷流・小谷流 勢子が描いた絵馬が伝わる神社

          大谷流(おおやる)本福寺 稲荷神社 小谷流(こやる)稲葉村 稲葉の墓と山本氏の墓 五神名地神塔 神明社 神明社 祠 永福寺 行った日 : 2023/02/25

          八街市大谷流・小谷流 勢子が描いた絵馬が伝わる神社

          八街市南部を歩く 谷津の終点にある集落

          上砂(かみいさご)地形について 印旛沼から佐倉市を通って刻み込まれた谷津地形の終点がこの上砂集落である。集落南部は江戸から東金を結ぶ御成街道が横切り、周囲には佐倉七牧のひとつ、小間子牧だった台地が広がっている。今この集落に特別な何かがあるわけではないものの、地形は興味深かった。 大六天神社 天照皇大神 道祖神 馬頭神社 天満宮 砂(いさご)角谷の杓子神 日枝神社 本源寺 道中 吉倉地形について 八街南部に走るもう一つの谷津の終点。上砂、砂の次は本来は

          八街市南部を歩く 谷津の終点にある集落