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人はなぜ小説を書くか。

 生業だから。というのを抜きにするなら、どういうことになるんだろう。ここ一週間、いわゆる《創作クラスタ》ではない誰彼に関して
「◯◯さん、実は小説書いてる/てたらしい」
など、リアクションに困るニュースが次々にもたらされ。その都度へーとかふーんとか曖昧な返事をして誤魔化していた。
 私は、直接知る人が書いた小説は読みたくない。メンドクサイからというのもあるが、それ以上にヤバイとゆーか、読んではいけない気がしてしまうので。そこには、《魔法日記》や《夢日記》と同様当人が気づきもしない内面の問題が赤裸々に言語化されていたりしないか。通常の(?)日記ならそんなことは思わない。予め他人に読ませる/れる前提で書かれた日記なら、メンドクサイだけで何もヤバイことはないだろうから。

 プレゼン用のスライドや企画書、出張報告書、ゼミのレポートや卒論、結婚式のスピーチ、パブコメetc.もちろん広告コピー含む目的のはっきりした原稿と言うのか文書と言うのか、そういった類の中には、《合目的性》に疑問のある《余談》や《即興》の要素が入り込む余地はないと思われる。だが天邪鬼な私は、そんなふうに合目的性を優先するなら入れる訳にはいかない要素をこそ大事にしていたりする。
《余談》や《即興》が大事。と言っても、喉が乾きました/お腹が痛いです。救急車を呼んでください/どこで両替できますかetc. のように、おそらく誰から見ても《生きていく為に必要な》コトバたちと比べた場合、少なくとも緊急性は高くない。じゃ、何で? それは、《人はパンのみによって生きるにあらず》のパンではない何かに違いなく。たとえば学者が書いた、論文や学術書ではない著作なんかの場合……という最近の《記事》は下記に。

https://note.com/captain_t/n/n5ffb2cd9d255#400d84fc-b96f-40f9-9f14-848cec4b10e7

《合目的性》に疑問のある《余談》や《即興》の要素を含みつつ、ユルく程良くまとまった文章……。いろんな文章が該当するんだろうけど、まあ、大雑把に言って小説を除けば、そうヤバイもんに当たるリスクは低いだろう。〈当人が気づきもしない内面の何やかんやが赤裸々に言語化されている〉ケースなど_《魔法日記》や《夢日記》は別として_まずあり得ない。んじゃないかな。
 困ったことに、小説を書く人_原稿料も出ないのに!_の人口は増えているようだ。書きやすいツールというかアプリが増えたことも関係しているのか。場合によっては、本人や知り合いから読むよう勧められたりお願いされたりすることもあるが、上記のような事情もあって読みたくないから、私は読まない。
 読みたくないだけではなく、自分のことを良い読み手とは思えないという事情もある。アニメの音声トラックからそのままテキストを起こしたような会話文は生理的に駄目だし_コミケ開催時期に乗った地下鉄の車内が臭かったという経験がトラウマになっているのかも知れない_、ミステリーなどいわゆるジャンル小説の約束事にも明るくない_まあ、ジャンルによりますが_。
 それにしても、何で小説というのかフィクションあるいは作り話だけが、〈当人が気づきもしない内面の何やかんやを赤裸々に〉晒してしまうのか。

 何でこんなもの書いているのか/書いたのか得てして自分でもわからない《裡なる他者の存在を言語化して示すゲーム》として、小説に取り組む時間を少し増やしていこうかと思っている。専業作家ではないので、いろいろ難儀はありそうですが。


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