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大学スト&困難を分割すること:留学の目的と一年間という限られた時間

まさかの休講

ストライキで、来週から2週間私の取っている授業が無くなりました。
UCU (University and College Union)という大学組合が決めたストライキのようで、UCUに加盟している60の大学で11/25~12/4の間、教員がストライキを行うようです。
教授がストライキに参加するかは自由なようですが、私が取っている授業の教授は二人ともストライキに参加するようで、授業は行われない旨が授業で予告されました。
片方の授業は12月2週目にまだ最終授業が残っていますが、もう片方の授業は最後2コマが潰れることによって、今週が最終授業ということになってしまいました。
一人の教授によると「私もこのような形で学期が終わることや、授業が行われないことは残念だと思う。ただ、ここ10年で生活費と鑑みて私の給料は18%落ちている。私はそうあってほしくないから、ストライキに参加する。」とのことでした。

「イギリスは元々ストライキの国だったが、サッチャーの時代にそれが随分おさえられた。そして、対岸のフランスが今はストライキの国になっている。」

とはお世話になっているロータリーのカウンセラーの言ですが、とのことでしたが、かつてストライキの国だったイギリスの片鱗を体感するように思います。

ちなみに、でもフランスはもっと凄いですね。私がパリを9月に訪れたときは地下鉄が一日中ストで止まり、10月に訪れたときはメトロ以外の列車(中長距離列車)がストで止まり、12月も訪れる予定があるのですが、12/5から無期限でストライキが予告されています。(なぜ私が行くと電車が止まるのだ…)

今回はイギリスの大学教員によるストライキですが、こうして見ると日本の労働者は弱いというか、組合が強くないというか(私の学校では無いに等しい)、労働者が勤勉であるというか従順であるというか、お国柄と文化と市民教育と歴史の違いを感じます。日本の教員のような働き方をイギリスで行ったら、すぐにでもストライキが起きるのではと感じます。況やフランスでは…。

一年間という限られた時間

余談に紙幅を割きましたが(インターネットで字数制限・執筆スペースの制限が無くなったのに「紙幅」という言葉を使うのは何だか不思議な気持ちです)、こちらで知り合った方の文章を読んでいて、一年間という限られた時間で何ができるのか、どう時間を使うのかという不安を改めて突き付けられたので、2か月過ぎた所で改めて向き合ってみました。

正直こちらで過ごしていると、私の場合、よく「これで良いのだろうか」という思い(正確に言えばまだ言葉の形をしていない疑念、心の震えのようなもの)を感じることがあります。

例えば、週2回しか授業がなく、自室か図書館に籠っているうちに時が過ぎていくのを実感したとき。
例えば、日本人とばかり最近喋っているなと感じたとき。
例えば、共通項が多い日本人と違って、外国人で週に一回のクラスでしか会わないというときに、中々距離を詰めていけないとき。
例えば、授業のディスカッションで有意義な会話がなされているだろうときにある程度しか理解できないとき。

たった一年間という、見た目には長く、今までの経験的には圧倒的に短い期間で何が出来るのか、自分は来年の9月にどうなっているのだろうか。そんな、思春期のいわれもない不安と焦燥感に近いものを、生活の中で通奏低音のように感じます。一年間の渡航のために職場に作った「貸し」のようなもの、現在支払っている260万円ほどの学費、自分が抱いている期待と周りの期待を考えると、拭えないものであるし、私は拭わずに向き合うべきものかなと思っています。

こんな不安が心を騒がせるとき、私はいつも次のことをしています。

・ノートに記す
・困難を分割する

上記は生徒にもいつも勧めていることです。よく面談で、思い悩む生徒に上記二つを勧めていました。あー、生徒たちに会いたくなりますね。

ノートは、自分の思考と感情を整理する専用の雑記帳に書いています。ちなみに、大学時代から始めて、現在雑記帳No.21まで来ました。
私の場合、不安や緊張、焦燥感の正体は大抵の場合において、「何か良く分からないもやもや」なので、それに言葉を与えていき、形にしていく過程で随分とすっきりします。正体が分からないから怖いので、問題点や引っかかっている点が分かって、対処法(解決方法を行動まで落とし込むor気にしても仕方がないことだから一旦無視する)を見つければ大抵はすっきりします。

「困難は分割せよ」とは、授業で井上ひさし『握手』を扱っていたときに、その中のルロイ修道士という登場人物の台詞として出合った言葉です。
(ただ、今調べてみるとどうやらデカルトが「困難は分割せよ」と言い、ビルゲイツも問題の切り分け方について論じていたようで、その辺りに典拠がある言葉かもしれません)
私は大抵困難を分割し、それをノートに記して言語化していくというアプローチを取って乗り越えてきた(のか?)ように思います。
とりあえず今回もしてみます。

「一年間という限られた時間で何ができるのか、どう時間を使うのかという不安」は留学の目的と深く関係しているように思います。
例えば、学部卒で来ている方は英語力向上、国際性を身につける、修士号取得、就職先を見つける、異文化を体験する+その他個々人なりの目的といった人も多いかもしれません。
私の場合、修士号は既にあるので目的ではなく、国語教師なので英語力向上も(もちろんツールとしての英語の精度を上げたいと思いますが)主目的ではありません。就職先も要りません。
私の大学院留学の目的は下記3つかと思いました。

・外国の国語教育の在り方を学んで、自分の教育に役立てること
・Interactive(対話的で、学習者同士の相乗効果があって、その場でしか行えない)な授業の在り方を、勉強・授業見学・大学教育における体感を通じて考えること
・海外の別の立場から物事(教育問題、日本の在り方について、国際問題について)を見ること

それを達成するために、2か月間を振り返ってできる改善は下記の通りかと思います。

・クラスメイトの外国人教師と積極的に議論してみる(「これは日本ではAだけど、それについてどう思う?」「イギリスのBにはこういう問題はないの?」等)
・授業見学の話を出来る限り進める。現在も何件か進めてはいるが、より広げる。ロータリーの集まりに積極的に出て、そこで声掛けをする。
・相手の価値観・何かに対する考えを積極的に訊きに行く
・ニュースサイト(BBC, CNN, French24等一般&Tes, The Guardian, BBC教育面)を毎日見出しだけでも見る
・テレビがある環境ではつけてみる(難しいが)

「積極的に訊きに行く」系が抽象的なのが気になりますが、今考えられたのはこの程度でした。
いや、言語化して文字化してみるとやはりぼんやりしているのが気になりますね。
まだ考えなければいけないということでしょうが、アイデアが必要そうです。
やはり楽器を持ってきて年度初めのMusic Societyのオーケストラオーディションを受けられたら音楽を媒介にして多様なコミュニティーが広がって良かったなと思いますが、後悔先に立たず。

何か国かの教師たちと食事したり互いの家でパーティーを開いたりするくらいの仲ではあり、その人たちとは大変有意義な教育談義ができているのですが、そうした集まりをもっと広げたい。やはり5分~10分の授業休み時間では、どうも深い議論まで切り込めないのか、自分の論点が明確でないのか、イギリスの教育制度がようやくわかってきた感じだからなのか。

改善案を整理して満足してしまうのが一番良くないので、より良いものにするために頑張ってみます。今も十分楽しく、有意義で、学びがあるとも思うのですが、可能性青天井(「青天井」は比喩的な意味で、辞書的な意味とはずれますが)と信じてまだまだもがいてみようと思います。

一般的な授業形態の紹介をするより、こうして自分の胸中と結びつく文章を書く方が遥かに自分にとっては面白いですね。自身の経験や感情と結びつくと文章が自分固有のものになるからでしょうね。
こうして、捉えどころのない胸中に少しずつ名前を与えていく行為が好きだなと改めて思うので、まだ知らぬ色の名前を知ったり、まだ見ぬ小説を読んでみたり、それに対応できるよう色々な経験をして心を肥やしておいたりしたいですね。
秋冬が心を肥やす良い時間となりますように。

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