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江戸の《呪い》を長崎で打つ~體に巣くうモノ~前編

自慢じゃないが,わたしには「カリスマ性」があるらしい。

作業所のある精神科外来で働いていた時,時々,心理士が作業所のヘルプ係に呼ばれることがあった。心理士の女性上司が作業所のその日のメンバーと心理士チームをみて,「適切な」配置をする。

ところが,わたしはある若い女性の利用者さんの何かを刺激するらしく,その方がいない時のヘルプにだけ呼ばれることに気づいた。

「あなたはカリスマ性があるから」

そう言われた時には,仕事着が白衣とは言え,華美な装いやメイクは避けていただけに,これ以上,何をすれば存在を消せるのか,「なんだか悔しかった。

ヒエラルキーは,大脳新皮質という高次の脳機能を持つ哺乳類のジレンマだから仕方ないけど,哺乳類だけが持つ社会性ゆえの負の産物だ。カリスマ性は,集団のヒエラルキーに関係するし,どんな女性でも多かれ少なかれ巻き込まれる。

社会的は,仲間と上手くやっていったり,生殖行動においていい種を得られるメリットがあるから,相手よりもちょっとでも優位に立ちたくてマウンティングをする。

それでも,どうしようもなく好きで人を引き付ける「カリスマ性」なるものは,個体差があり,いい方に働くカリスマもあるけれど,無自覚に相手を刺激する嫉妬を呼んだり,悪い方に作用するカリスマ性は,やっかいだ。

「ポニョ,そうすけ好き」(『崖の上のポニョ』)

誰もがそうやって,原初の「愛情」を額面通りに表現し,字義通りに受け取ればいいけれど,人の感情は複雑で,そう単純じゃない。

「わたしの方がかわいいのになんで」
「わたしの方が優秀なのになんで」

一方的な「大好き」が受け入れられないと,「どうして受け入れてくれないのか」に反転して,攻撃に変わることがよくある。

「好きだから嫌い」のアンビバレンツ(両価性)があるのは,「愛着(アタッチメント)」の不安定さで説明できるかもしれない。

アンビレンツ,アタッチメント(愛着),と発達心理学の用語を連発して,ピンとくる人は,幼児教育の専門家など教育心理学を修めた人か,児童精神科の域に明るい人くらいで,誰も知らない,埋もれた心理学用語だ。

でも,ちょっと,最近は風向きが変わってきて,「愛着の子育て」なんて本が出てきているから,時代も変わったかもしれない。

8割の人がほぼ知らない「アタッチメント」とは(メンタル夫人調べ),ある一定の成長段階の時期に形成され,獲得される,特定の人に向ける愛情の絆のことで,双方向性のものである。

勘のいい人は,お気づきと思うけど,多くの場合,母親的な養育者と子どもの間にまずは育つ。

母親的な養育者が赤ちゃんが「みぃみぃ」と泣けば(生まれたての新生児は本当に子猫と同じ鳴き声で母親を呼ぶのだと,出産してすぐに気づいた),母親的養育者は,「どうしたのぉ」と赤ちゃんのもとにすっ飛んでいくだろう。

この母と子の応答の絆が「世界は安全なもので,わたしに何かあった時は,親が助けてくれる」と,絶対的な信頼感になる。

誤解しないでほしいのだけど,この絆は,「母親と子」だけに作られるのではなくて,「母親的」な養育者であればよく,父親でも祖母でも,子どもに一心に愛情を向け,応答してくれる存在だし,1人だけではない。何人いてもいい。

だけど,残念なことに赤ちゃんが親に自分ばかり愛情を向けても相手が同じ熱量で返してくれるとは限らない場合もある。

そんな反応が長く続くと,赤ちゃんは次第に抑うつ的になり,周囲に期待もしなくなり,うちひしがれていく。

有名な事例は,「チャウシェスクの落とし子」と呼ばれる,チャウシェスク政権下の乳児院だ。乳児たちは,ベットから出ることは許されず,母が子を抱くようにしてミルクを与えることもなく,愛情をかけられることなく,劣悪な養育環境で子どもたちを育てたので,政権崩壊後,子どもたちが養子にもらわれていった先で,愛着障害の症状をみせた。

こうして文字にするだけでも,しんどいものがあるので,サラッとここは置いておく。

さて,最近,すごくビックリしたことがあった。

この夏の終わりから,神経生理学の心理のプロのための講座に通い始めた。

その講座は,トラウマケアを神経アプローチからしてゆくもので,語りのカウンセリングを否定しているのではない。

けれど,言葉のアプローチではにっちもさっちもいかないケースがあることから,最近の臨床心理学業界では,体のアプローチに注目が集まって,「ソマテック(身体)心理学」と呼ばれている。

わたしは,やはり言葉の限界を感じていて,感染症時代に入った頃と時を同じくして,オンラインで海外の第一線の博士たちの講座を受け始めた。

感染症対策のおかげで,本来なら渡米しなくちゃ受けられない講座が旅費もホテル代もなしで,現地価格に毛が生えたくらいの金額で受けられるのだから夢のような話。

そこから,どんどん学びが進み,実際,自分のやるセラピーにも生かされているし,とうとう3年がかりで専門的に学ぶことになった。

というわけで,神経心理学の講座に出たのだが,当たり前だがセラピストが自分もクライアントになる必要がある。

そこで,その技法の資格を持つ精神科医のセラピストから,対面でその技法を使ったセラピーを受けた。

体に触れないのに神経系に働きかけるセラピーで,トラウマのショックを二次的に与えないように配慮されたとても,繊細なセラピーだ。

その時は,「へぇ。こういう感じなんだ」と,思ったくらい,正直,ものたりなさが残った。

浅はかなことに,わたしは,ごにょごにょと呪文を唱えたり,エィっと気合を入れたりして術をかけ,「ほらもう,あなたの不安はなくなりましたよ」的な劇的変化をイメージしていたのだ。

そういうドラマチックさは(と言うよりうさんくささ寄り),魔術的な催眠術のようなエンタメ路線だ。

そうではなくて,今回のセラピーは,心の奥の奥の奥にある心の澱みたいなものをじんわりと温めていく,入った時はこんなぬるくて風邪ひかないかな?と,思うけれど,湯から上がった後もじんわりぽかぽか温めて,患部によく効く温泉療法のようだった。

温泉浴効果は,1時間,2時間とずっと続き,翌日も眠かった。

そして,翌日からは,眠気がある部位の鋭い痛みとなって変化していった。それは,わたしが思いもかけない方向へ展開していった。

後編へ続く

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