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【ちょっといいエッセイ】言の葉の種

万葉集のとある一節

こころは「種」、ことばは「葉」

ここから「ことば」という字に「葉」という文字が使われるようになったと言われている

種から生まれたものが、やがて葉に変わる

葉をつくるには、種が必要
「言の葉(ことのは)」は「心」が生み出したもの。

つまり
心が無ければ「言葉」は生まれない
ってことだ。


万葉集は600〜700年代に詠まれた歌が集められた書物であると言われている。

そう考えると今から1500年近く昔に生きていた人が、当時すでにこの思考にたどり着いていたということになる。

1500年の時を経て、現代人を納得させる

これはもう立派な真理と言えるだろう。
「言葉」ってとても美しい「ことば」だ。



僕は幼少時代、物静かな少年だったらしい。
いつも部屋の隅っこで1人、大人しく絵本を読んでいたそうだ。

もちろん本を読むのは好きだった。

その影響は大人になった今でも残っており、あまり実感はしていないが、本を読む事で得た「無意識の学び」が役に立った事もいくつかはあったのだろう。

幼い頃に身についた読書習慣に
今となっては感謝している。

ただ「物静か」だった理由は別にある。

当時の僕はただ単に「自分の思い」を言語化して、人に話す事が苦手だったのだ。

その結果、家族や親戚の中でも
「何を考えているのかよく分からない子」
というポジションにおさまっていた。

当然ながら、僕には何の悪意もなかった。

「 ぼくはこまらせたいわけじゃないんだ。
   ただうまくつたえられないんだ。」

幼い頃、何度もそんな思いを抱いた記憶が残っている。

ただ両親はそんな「謎めいた少年」の本性を深く詮索することもなく、否定することもなく、少年に自由な「脳内世界」を形成させてくれた。

そんな家族の支えの中で少年はやがて成長し、
「とある武器」を手に入れる。

それがギターだった。

「迷ったら、やろう」
父が言ったその一言が彼を本気にさせた。

少年は毎日ガムシャラに
指が動かなくなるまでギターを練習した。

「自分の思いを言葉に出来ない」

そんな不器用な少年が人前でスポットライトを浴びてステージに立ち、音楽を通じて他人に心のメッセージを伝えようとする。

本当に人生って分からないもんだ。

「迷ったら、やろう」

そう唱えながら下手くそなギターをかき鳴らしているうちに、謎めいた少年はある時ふと謎めいた確信を抱く

「あ、オレ、天才だわ」

そして大人しかった少年は、幼少時代から鍛え上げられた「脳内世界」の中で

「スーパーヒーローになる」

などという夢物語を描き始める。

本当に人生って分からないもんだ。

そんな過程を経て「謎めいた少年」はいつしか
「大人」と呼ばれる存在へと成長していった。



コロナ禍のある日、母親から電話があった。
普段の連絡はLINEでのメッセージだ。
母親からの緊急の電話が良い知らせなわけがない。

「お父さんが救急車で搬送された」

母もパニックになっており、実際に実家で何があったのかはよく分からない。
ただ緊急の案件である事は間違いない。

僕は急いで病院に向かった。



父はとても優しい人だ。

「迷ったら、やろう」

父がかけてくれたその言葉を
「謎めいた少年」は今でも大切にしている。

「ぼくはこまらせたいわけじゃないんだ。
  ただ、うまくつたえられないんだ」

子供の頃、自分の思いを言葉に出来ず泣き虫だった僕に、父はいつも頷きながら笑顔を返してくれた。

「泣いても良いんやで、
 でも1人になってからな」


僕にとって父は
憧れのスーパーヒーローだった

まだ死なせるわけにはいかない



僕が病院に着く頃、父は集中治療室に運ばれていた。

後から聞いた話だが、その日は母が外出先から帰宅すると父の様子がおかしく、家の中をウロウロと歩き回りながら意味不明な言葉を話していたそうだ。

母が「どうしたの?」と聞くと

「昨日トマトで買った新幹線がビッグボス」

などという謎めいた言葉が返ってきたらしい。

その後もまともな会話が成立しないことから、母が近所の「かかりつけ医」に電話したところ

「理由は聞かず今すぐ救急車を呼んでください!」

と言われたらしい。



病名は「脳梗塞」だった。

父の「謎めいた言動」は
脳梗塞からくる失語症の症状との事だ。

脳内の言語を操るエリアがダメージをうけてしまうと発症するのが失語症ってやつらしい。

脳内で「言葉」と「意味」を繋ぐ回路がダメージにより遮断される。その結果として父は「意味不明な言語」を発したのだろう。

脳梗塞は血の塊が脳内の血管に詰まってしまう病気だ。血が流れなくなる事で脳の血流の循環が止まってしまう。

血液が回らなくなってダメージを受けた脳細胞が死んでしまう前、つまり早期に発見できるかどうかで全てが決まるそうだ。

タイムリミットは5時間

僕らは搬送先の病院でそう告げられた。

今回の父の脳梗塞は母の外出中の発症、
それゆえに発症時刻が不明確だ。

そんな中、僕らの前に1枚の同意書が置かれた。

それは「血栓を溶かす注射」への同意書だった。

タイムリミットに間に合えば、注射により滞った血流が復活してダメージを受けた脳を助けられる。

ただし甘い話は存在しない。

副作用は
脳内出血による死亡リスク

その確率はおおよそ5%

5%とは言え「父親の死」の選択だ。
とても簡単にサインできる同意書ではない。
その上タイムリミットまで存在する。


実はもう手遅れなんじゃないのか?
そうだとしたらリスクしかない選択じゃないか

これで死んだらどうするんだ?
オレに責任取れんのか?

そもそもオレはそんな大事な決断をするに
相応しい男なのか?


時間が刻一刻とものすごいスピードで流れる中、やらない理由探しが僕の脳内で行われる。
僕ら人間はいつも、こうやって大事な決断を後回しにしちゃうんだ。

父さん、あんたならどうするよ?

責任転嫁
僕の悪い癖だ。

「迷ったら、やろう」

あの人は昔、こんな事を言ってたっけ。

「迷ったら、やろう」

何度も自分の心の中で響かせて、謎めいた少年を奮い立たせてきた言葉が僕の背中を押す。

そして僕は同意書に下手くそな文字で自分のフルネームをサインした。



その後、幸いにも父親は一命をとりとめた
その報告を受けて僕は1人、トイレにこもり強く拳を握りしめた。

オレは間違えなかった
・・・オレは間違えなかった!!

全身の力が抜けていく。
僕はトイレの中でへたり込んだ。

張り詰めた緊張が解けていくとともに、
目から涙が溢れ出す。

「泣いても良いんやで
でも1人になってからな」

いつかのスーパーヒーローが言ってた言葉を思い出して、泣き虫だった「謎めいた少年」は1人泣き続けていた。



数日が経過して、父は会話も出来る状態にまで回復した。

でも油断はできない。
失語症というのは一見普通に見えても、目に見えないだけに後遺症が発見しにくいらしい。

普通に会話できるようになっていても、
元通りになったのかは誰にも分からない。

それはきっと本人でさえ。


コロナでなかなか面会が出来なかったけど
しばらくしてようやく父親に会うことが出来た。


僕の顔を見て父親は言葉にならない声を出した
そして肩を震わせて涙を流した

言の葉の「種」
それだけで十分だ。

テレビの中のスーパーヒーローは
いつだって、ほんの少しだけ弱い


だけど、それでこそスーパーヒーローなんだ


僕の憧れのスーパーヒーローは
決して完璧な男じゃない


「ぼくはこまらせたいわけじゃないんだ。
  ただ、うまくつたえられないんだ」

僕は子供の頃の自分の感情を思い出した。

あの時父は何も言わず笑顔で頷いてくれたっけ


こころは「種」、ことばは「葉」


言葉がなくても伝わる事がある
「こころ」はすぐ目の前にあるのだ。

万葉集が後世に生きる僕らに残したメッセージ

それは
「時として言葉は不要である」
という事なのかもしれない。



真冬の殺風景な病室の中
僕はゆっくりと父親と目で会話をした

胸の奥から様々な感情が溢れ出してくる

失語症で迷惑をかけるって?
他人に言葉を上手く伝えられないから
恥ずかしい思いをさせてしまうって?

ふざけんな
ふざけんな!!!

オレ達は親子だ
恥なんて喜んで引き受けてやる

例え言葉を失ったとしても
その心の中に入ってる言葉
引っ張り出してやるから

オレがあんたの言葉になってやる
迷うことなくやってやる

父を安心させてやろうと、
僕は熱い気持ちと裏腹に下手くそな笑顔を作った

その時、ふと思ったんだ。

泣き虫の僕に向かって笑顔で頷いてたあの日の父は、今の僕と同じ心境だったんじゃないかって。



「また来るよ」

とだけ言い残して、僕は病室の扉を開けた。
扉の隙間から入り込んだ、12月の冷んやりとした空気が僕の横を通り過ぎていく。

生まれ変わっても、また
あなたの息子になりたいです


そんな「言の葉」をいつか
謎めいた少年は伝える事が出来るのだろうか?

病室の無機質な扉に手をかけた時、
ふと背中の方から
「ありがとう」
と父の温かく懐かしい声が聞こえた気がしたんだ


僕は笑顔を作って振り返り、ひとつ頷いてみた

あの日のスーパーヒーローのように

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