見出し画像

『統合失調症の一族』 ロバート・コルカー

この本をはじめて見たのはどこかの洋書サイトでだったか。目が引き寄せられたのはその表紙、豪華な螺旋階段にずらりと並ぶ正装した大家族の写真である。
題名は"HIDDEN VALLEY ROAD Inside the Mind of an American Family”。
なにやらアメリカの個性的な家族の話らしいこの本には、素通りできないものを感じた。
ただ値が張るのでちょっと検討、とアマゾンのカートにとりあえず放置。そしてそのまま年月が経ち、すっかり忘れていた頃に、この本の翻訳版が出ていることを知った。
その日本語題を見て初めて本の内容が分かり、衝撃だった。
統合失調症。
奇天烈な大家族なのだろうと思ってはいたが、そんなに深刻な話だったとは。
とたんに重く禍々しく見えはじめた表紙の家族写真。またもやしばらくの間、私はその本に手を出すのを躊躇することになった。

*****

ということで、はじめて存在を知ってからかなりの時間が経ってようやく読むに至った本書。それは、希望あふれる夫婦の夢の家庭を蝕んだ悪夢と、統合失調症という病の解明を巡る長大なノンフィクションだった。

表紙の家族は、12人の子供のうち6人もが統合失調症を発症したというギャルヴィン一家。
一家は、何もなければ皆に愛され尊敬されたであろう立派な家族だ。
ドンとミミと、12人の子供達。皆、容姿端麗で、運動能力に優れ、文化芸術にも親しむ。
家族で趣味の鷹狩りをし、息子達はホッケーや柔道に精を出す。それぞれピアノやフルートも弾きこなし、週末には家族で交響曲のレコードを聴く。
そんな絵に描いたようなエリート家族に、いつかどうやってか異常が発生し、原因も分からず取り除き方も分からないうちに異常は恒常となっていった。

そこでは精神を患っている状態が家庭の標準であり、それ以外の事柄は万事それを出発点とせざるをえなかった。

統合失調症とは、認識と現実の乖離、「意識から自らを遮断し、他者が現実として受け入れているものにいっさいアクセスしないようになってしまう」ことだという。
そんな病に侵され、自分は何かがとんでもなくおかしいのではないかと人知れず悩んでいた息子たち自身の恐怖はいかばかりであったか。
そしてまた、美しく優秀な子供達が徐々に異質なものになっていく、それをつぶさに見続け、次はまたどの子がおかしくなってしまうのかと恐れ続ける両親の恐怖は、想像するにも余りある。

何かが息子たち全員に次々に起こっていた。まずドナルドとジムに、続いてブライアンに、今度はピーターに、そしてひょっとすると近々ジョーにも。それなのに、二人にはどうすればそれを止められるか、見当もつかなかった。それどころか、止められるかどうかさえわからなかった。

本書に書かれているのは、決して興味本位で覗くべきではない凄まじい状況である。
正常と思っていた子がある時突然別人のように変わってしまうという悪夢。
精神を病み、いつ凶暴化するか分からない兄達と共に家に残され、両親が帰ってくるまでベッドルームに鍵をかけて閉じこもっている12歳の末の妹。
その異常さにすら不感症になっている両親。
幼い妹達が被ったあってはならない被害や、息子の一人がたどった最悪の事態に至っては、なぜこの一家にこんな不幸が、と絶句してしまう。

世間的には父親ドンは出世し、ジョージア・オキーフやロックフェラーとも付き合うような生活を一家は送っていたという。
ドンとミミは、社会的には自由奔放だが家庭内では規律正しくというしつけ方で、息子たちはパーティに出かけロックンロールをやるが、日曜日にはきちんとした格好で教会に行っていた。
そうやって、正しいことを、正しく行なっていた。
そんな中、子供達が一人また一人と異常行動を起こすようになっても、そんな状態は「なかったことにすれば消え去ってくれるのではないか」と思いたかったミミ。
見て見ぬふりをしようとしたミミを責めるのは簡単だが、その混乱と恐怖を思うにあたり、彼女の心理には反発よりも、自分も同じようになるかもしれないという思いが湧いた。

また、当時の精神医学界では、母親による厳しく厳格なしつけが統合失調症を誘発するという見解が主流だったという。
子供に問題があれば親を疑う。そんな風潮の中、「もし自分の子供におかしなところがあれば、医師には絶対に告げてはならない」というのは当時の親達にとって明白な教訓だったとある。
診断の指標も治療についても何も確立されていない病気と、問答無用で諸悪の元とされる母親という立場。そんな中、ミミは一人で闘っていたのだ。

ミミはすべてを否定することにしていた。「うちの息子たちは、そんなことをしたりしません」。それを信じる人はいなかった。対応するための手段も生まれつきの才能もなければ、訓練も受けていないまま、独りで状況への対応を任された彼女は、無言で溺れかけていた。

全てのページが苦痛の記録だ。
笑顔になれる文章は一行たりともない。
彼らのもがきは読むのも苦しいくらいであり、ある意味では身にもつまされる。
野次馬気分での高みの見物では済まない本である。


本書ではまた、精神疾患研究の変遷、精神科医療の歴史についても詳しく解説されている。
電気療法やロボトミーなどの謎めいて恐ろしい時代から現代まで、精神医学の歩みをひとつの繋がった流れでつかむことができる。
CTやPETなどのスキャナー技術を取り入れた研究が進むにつれ、「横暴な母の影響」説は力を失ったという。
ヒトゲノム解析によって特有の異変を起こす遺伝子の発見され、胎児の段階で妊婦がサプリメントを摂取することで予防を行う実験が始まるなど、近年の画期的な発展についての記述は、唯一の明るい話題だった。この実験は数十年を要する為まだ進行中だが、既に朗報の兆しがあるという。

*****

子供の半数が精神疾患を患うという不幸に見舞われた家族。
だが読んでわかるのは、ギャルヴィン家の人々が、それだけの不幸と個々の苦しみや確執にも関わらず、家族としての心の繋がりと運命に潰されない逞しさ、そして本質的な善意を持ち続けているということである。

私たちが人間らしさを備えているのは、周りの人々が私たちを人間たらしめているからにほかならない。

苦しみの記述に満ちた一冊だが、決して不幸に屈した人々を書いた本ではない。むしろ人間の強靭さと、光はどこかに必ずあるという希望を示す本だった。

この記事が参加している募集

読書感想文