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エッセイ|第23話 春の金角湾で風に吹かれて

イスタンブールを訪れた時、ヴェネツィアに感じたものと同じ何かを感じた。もっと言えば、正直に言えば、汚いヴェネツィアのようだと思ったのだ。悪い言葉だと思う、しかし悪い意味ではない。

ガラタ橋の向こう、ボスポラス海峡を行き交う多くのフェリー、クルーズ船。湾内の熱いサバサンドを売る屋台舟。波止場の賑わい、それは心掻き立てるものだ。長い時間を経た古めかしいあれこれは埃っぽいけれど、朽ち果てた過去の産物ではない。今なお現役で、人の暮らしを支え、日々新しい何かを生み出している。ごみごみとした感じさえ、魅力の一つだと言えるだろう。

そして顔を上げれば林立するモスク。その壮麗で壮大なこと。ひしめき合う神々しさは天をも突かんばかりで、庶民の熱があふれる港との対比が実に絶妙だ。それは引き立てあう二つの世界。だからこそイスタンブールなのだと感じる。

この海にかつて船は集った。1453年、コンスタンチノープル。イスラムとルネサンスが交じり混ざり紡いだもの、時に栄え時に滅び。それは私の心の中に特に深く刻まれている歴史の一つ。私はそっと目を閉じた。

ヴェネツィアからの援軍、多くのガレー船はもちろん、ジェノバからクレタから、もちろんビザンチン帝国のものも。湾に張られた鉄鎖の向こうには数で勝るオスマントルコの船、船、船。

だけど海戦の勝敗に興味はない。呼吸も忘れるような緊迫の時はもう、歴史の中にそっと横たえておこう。今はただ、その勇壮な光景を見渡す。きっと5月の空の下、海を埋め尽くす帆がはためいていたことだろう。

その音もやがて潮騒に溶け、街のざわめきがゆっくりと戻ってくる。柔らかな風の中で目を開ければ、白いアーモンドの花咲く丘や無数のミナレットが作り出す、まるでおとぎ話のような遠景。金角湾は平和だった。美しい春がそこにはあった。ヴェネツィアから今着き、初めてこの地に足を下ろす若い船乗りのように、私は胸を高鳴らせた。

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