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手当ての効能。

息子と娘が、ダブルで風邪を引いた。
田舎の古民家で暮らす我が家は、朝晩がかなり冷え込むため、もう7月になるというのになかなか長袖が手放せずにいた。日中の暑さとのあまりの差に、衣服調節の難しさに悩む日々の中での子ども達の夏風邪は当然とも言える。

しかしやはり子どもが風邪を引くと、親としてはどうしても自分の中の罪悪感がチクリと痛む。「あぁ、また風邪を引かせてしまった…」という自責の念と共に、「夜冷えてたしなぁ」「最近あんまりお野菜食べてなかったからかなぁ?」「あー、そういえば昨日お風呂上がりに薄着で遊びまわってたなぁ」等とゴチャゴチャ原因を考える。

しかしそんな事は考えても仕方ない。数日様子を見ていたが治る気配もなく、夜中に眠りが浅くなると苦しそうに咳き込む姿に、「これはそろそろ病院行った方がいいかなぁ…」と考えながら、息子の背中をさすっていた。

フと、動かしていた手を止めて、ピッタリと背中にくっつけてみる。こちらの中の『なにか』を注入しようとするというよりは、息子の中の『なにか』を聞こうとする感じで、ゆっくりと呼吸しながら。

すると、さっきまで苦しそうにしていた息子が、スースーと深い寝息を立て始めた。そして不思議と、私の方まで体の芯がポカポカとしてきた。

あぁ子育てってきっと、こういうことの連続なんだろうな、と、フと思う。

『子育て』だなんてリッパな事を言えるほど大した事は何もしてない。ただ一緒に寝て、起きて、食事を与え、遊び、怒り、笑い、抱きしめ、また寝る。そんな事の連続。

仕事をしている時のような達成感は何もない。ただ一緒に日々を生きているだけ。

なんだかものすごく無意味な事をしているような気がして、自分が何者にもなれていないような気がして、焦ったり、孤独を感じる事もたくさんあるけれど。こうやって、気付かない内に子ども達から色々な『言葉にできないなにか』をもらっている。言葉にできないけれど、柔らかくて、あたたかくて、キラキラしたなにか。

親をしているとつい、何かを「与えないといけない」と思いがちだけど、本当は逆なんじゃないか。私たちはつい、親から子への愛は絶大だと思い込んでいるけれど、本当は子から親への愛の方が、ずっとずっと大きいんじゃないか。

そんな事を思った、6月最後の日。

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