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自分の人生を自分で舵取りをするために

仕事、育児、夫婦、親子。あらゆることにおいて、うまくいかないときにまず必要なのは、自分と向き合うこと。…でも、それってどうやって??

ただやみくもに考えても、ただただ同じところをぐるぐるとまわっているだけのようにかんじていた日々のなかで、わたしにとって一つの答えのようなものが見えてきました。

それは今、自分がどの位置にいて、どこに向かうべきなのかを正確に知るための地図のようなものでした。

* * *

息子の登園拒否により保育園を退園して以来、わたしはずっと育児に悩んできました。3才の息子と0才の娘を抱えて1日をすごす日々は、「しんどい」の一言でしかありませんでした。

「だって仕方がないでしょ?」

「夫は仕事があるし。」

「わたしだって仕事がしたかったのに。」

「わたしたちは2人とも実家が遠いし。」

「親が近くにいて助けてもらえる人はいいよね。」

「日本の育児環境ってなんでこんなに窮屈なんだろう。」

「わたしってダメな親だなぁ。」

子どもが、親が、社会が、夫が、環境が、そして自分が。
そんな風に、ずっと“誰か”のせいにしてきたわたし。

でも実は、それはぜんぶわたし自身が選んだこと。

なんとかして保育園に行かせることもできたはず。でも結局退園することを選んだのはわたし。 
夫に育児を替わってもらって、わたしが仕事に出ることだってできたはず。でもそれを選ばず子どもと一緒にいることを選んだのはわたし。
ほんとうに大変なら、実家の近くに引っ越すこともできたはず。でも離れたところに住むことを選んだのはわたし。

ぜんぶぜんぶ、わたしが自分で選んで決めたこと。それなのにそれを受け入れられずに、ずっと“誰か”のせいにしてきました。

それはきっと、“かわいそうなわたし”、“がんばってるわたし”にしがみつきたかったから。そうすることでしか、自己価値を見いだせなかったから。

でもそれらはすべてただの言い訳で、自分の力ではどうすることもできないと逃げているだけでした。

ほんとうは、そうしている方が自分にとって都合がいい選択だから。
ほんとうは、そこにいる方が自分にとって心地いいから。
ほんとうは、変化することが怖かったから。
だれかのせいにしておけば、自分は傷つかなくてすむから。

* * *

人は誰でも、自分の中にねむる弱さに向き合えない限り、どんなに巧妙な手段を身に着けても結局根本的な問題は解決しないと思います。

上に書いたわたしの場合の話として、社会学者である上野千鶴子さんの言葉で、「出産は親のエゴである」という言葉との出会いが運命の分かれ道になりました。

その一言を聞いたとき、わたしは頭をこん棒で思い切りガン!とぶん殴られたような気持ちになりました。それと同時に、自分の中にもやもやと怒りの気持ちが湧いてきたのです。

「ええ?でもそれって育児は親の自己責任てこと??でも『子は親を選んで生まれてくる』とも言うよね?」そんな言葉が、ポンポンと自分の中から出てきました。

「出産は親のエゴ」という言葉の、ほんとうの真意はわかりません。ただ、わたしがその言葉を聞いたときの気持ちとして、そう言われることは「すべてはお前の責任だ。」と言われているのと同等の意味を感じたのです。

それはわたしにとって、いちばん辛辣な言葉でもありました。だって人のせいにしておきたかったから。社会の仕組みのせいにしておきたかったから。

* * *

自分と向き合う3つのフェーズ

不協和音が起こるときはだれだって、はじめは対峙する相手に対して怒りや恐怖を感じるもの。それが自分と向き合う上で踏む第1フェーズです。

怒り気持ちが湧いてくるというのは、そこになにかしら問題解決をするヒントが隠されているということであり、突かれたくない自分の弱さが隠れているところでもあります。

「わたしのことをわかってくれない。」

「こんなにがんばっているのに。」

そんな気持ちが、相手への怒りに変わる。

そしてそのベクトルは次第に自分に向かっていく。

「わたしが悪いんだ。」

「どうせわたしはダメな人間なんだ。」

そんな風に、自分を責める段階。それが第2フェーズ。

たいていの場合、不協和音が起こると多くの人はこの第1フェーズか第2フェーズで止まってしまうものなのだと思います。でも、そこで止まってしまうと問題の解決にはならない。

自分と向き合う上で最も大切なのは、その次の第3フェーズ。それは、「これまでに起こったことはすべて自分で選択した結果である」ということを受け入れることだと思います。

それはすべてを誰かのせいにすることなく自分で引き受けるということであり、同時に自分の人生の舵取りをするための鍵を手にすることでもあります。

多くの人にとって、ここを越えられるかどうかが分かれ道になるのではないでしょうか。

わたしの場合もここがずっと超えられずに、第1フェーズと第2フェーズを何度も行ったり来たりしていました。だってそんなの怖かったから。誰かのせいにしている方が楽だったから。かわいそうなわたし、がんばってるわたしでいる方が居心地がよかったから。

しかしこのフェーズを踏むことでやっと、自分の中にねむる弱さに向き合えるようになるのだと思います。

弱さに向き合うことはけして自分を責めることではなく、むしろほんとうの自分の気持ちを知ることであり、自分を癒やすことでもあるとわたしは思います。そこを受け入れることができてはじめて、自然に前に進むことができるようになる。

* * *

あらゆることに物語性を見出すことが、人間を人間たらしめている1つの大きな特徴だと思います。それが人間の煩わしさであり、同時におもしろさでもある。

これまでに起こったつらい出来事も、すべてはこの最後のフェーズにたどりつくための物語だったのだと捉えられれば、自然とこれまでのすべてに感謝して前に進めるようになります。あらゆることを自分にとって良いように捉えられれば、それでいいのではないでしょうか。

必要なのは、ひとつひとつのフェーズをしっかり踏んで味わうこと。そうすることで自然と次のフェーズに駒を進めることができるのだと思います。

どんな人でも、現状は変えることができる。自分の人生の舵取りをする鍵は、自分の手の中にあります。それを使うかどうかは自分次第。

あなたは今、どのフェーズにいますか?

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