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スタートラインはそれぞれでいい

桜が降りしきる春休み明け。文字通り一見華やかで、祝福ムードが漂うこの季節だけど、入学直前や新学期を迎える小学生(もしかしたら中高生も?)を持つ母にとって、それは不安と焦りで押しつぶされそうな時期かもしれない。

うちの子どもは本当についていけるだろうか…
宿題の丸付けが終わらない…
新学期の持ち物準備ができてない…
っていうか、宿題ぜんぶ終わってない…!!

“ちょっとしたこと”に聞こえるそんな不安は、実はかなりの重責となって、多くの母たちの心をこれでもかというほどに押し付ける。

もちろんわたしも、そのことが原因で大喧嘩になってプチ家出をしたくらいには、いっぱいいっぱいになっていた人間のうちの一人だった。もちろん去年の息子の入学式直前もそうだったし、数年前の幼稚園入園のときだってそうだった。

だから、今、もし
春休み明け、あるいは新入学入園直前で焦っていたり、不安な気持ちを一人で抱えて押しつぶされそうになっているお母さんがいたら、届いてほしい。

世間の「○才はここまでできなきゃいけない」という規格に、こちらが合わせなきゃいけないという風潮は間違ってる。

そこに合わせようと思わなくてもいい。
違ってていいのだよ。

親も子どもも一生成長途上で、できることは人それぞれ違うのが当たり前だから。

子どもの評価があなたの評価になるわけじゃないのだよ。

子どもはがんばってる。
あなたも、とってもがんばってる。

親も子どもも、この先何年もかけて、ここから一緒にゆっくり成長していけばいいだけだから。

“みんな”と同じスタートラインに立とうとしなくて、いいのだよ。

育児に対する目には見えない全責任を負っているのは、結局はどこまで行っても母親なのだと思う。

それはまるで、どんなに身体が離れても目に見えないヘソの緒がつながっている、あるいはそれに縛りつけられているかのように、一度自らの腹から生んでしまったかぎり切っても切り離せない宿命なのだと思う。

その重責は、たとえどんなにパートナーが協力的で(という言葉は好きじゃないけど、適切な言葉が見つからないのであえて使います)、料理や掃除や送迎や、なんでもやる人だとしても、そこだけは永遠にわかることも代わってもらえることもできない。

それが故に、女と男は永遠にすれ違い、完全に混ざり合うことはない。それがあの、得も言われぬ“寂しさ”や“孤独”の正体なのだろう。

だからこそ、母という生き物は必然的に子どもの責任は自分の責任のように感じてしまうし、自分と子どもを切り離して考えることが時としてものすごく難しい。そして同時に、それを一人で抱え込んでしまう。

「気にしなきゃいいんだよ」という無責任な一言で、本当に気にせずに済むなら巨額の課金だって厭わないぜ!と吠えたくなるほどに。

必要なのは、そんな言葉じゃない。

「あなたはがんばってるよ」「いつもありがとう」そんな一言で、どれだけ救われる人がいることか…

ちなみにわが家は、宿題も持ち物準備も、できるところまでしかやらないことにした。(つまりほとんどできてないということである。笑)

同じじゃなくていいんだよ。
母も子も。

がんばってるよ。
子どもも、あなたも。

大丈夫だよ。
合わせようとしなくていいよ。

スタートラインは、同じじゃなくていいんだ。


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