008. Giveについての考察/夫婦間の損得勘定をこえたくて

GWも終盤。気軽に出かけることもままならないこのご時世、家族のエネルギーが長期間家に集まる日々に、疲労がたまっている人もおおいのではないだろうか。

2人の子どもたちを連れて遊びに出かけた休日。想定していたよりも少し早めに家に着くと、昼寝をしていた夫がちょっとフキゲンそうな顔をして寝室から出てきて、ひとこと「早かったね」。

えーっと、それはどういう意味?と聞くと、「もうちょっゆっくりしてたかった」。とのこと。

モヤ。。モヤモヤモヤァ〜。。。

休日は、わたしの方が子どもたちを夫にまかせて外出することがちょこちょこあるわが家。一方で家で畑仕事や山仕事がなによりの楽しみである夫は、仕事や地域の役員として外出するとき以外、自分の楽しみや趣味のために家を空けるということがほぼない。それが故にわが家は、必然的に休日は夫のほうが家で子どもたちと過ごす時間がおおくなりがちだ。

もちろんわたしの方だって、完全に自分の楽しみのためだけに1人で外出することはほぼなく、地域の活動や仕事としてやっているダンスの練習のために外に出るということが外出理由のほとんどなのだけど。

それでも、理由がなんであれ、割合として私の方が休日に子どもを夫にまかせて外出する確率が明らかに多いことは事実。であるからこそ、少しでも夫が家でひとり時間を過ごせるようにと、意識してわたしが子どもたちを2人とも連れ出して外に出る時間をつくるようにもしている。

今日もそんな思いで、午前中いっぱい1人で外出した後に、午後は子どもたちを連れて遊びに出かけた。
それなのに。

育児期間中、特に子どもが小さいうちは、目まぐるしく過ぎて行く日々に自分のやりたいことがろくにできず、えてして「こどもに時間を奪われている!」と思いがちだ。

だからこそ、「どちらがより多く子どもの相手をしているか」が、夫婦間での損得勘定を湧き起こす引き金にになることが多いのではないだろうか。

こちらとしてはGiveのつもりでやったことが、相手からは「足りない」と言われる。その裏にはきっと、「オレのほうががんばってるのに」という感情があるからなのだろけれど。そんなことを言われてしまったら、「わたしだってアレもしてるしコレもしてるし、○年前のあのときだってわたしのほうがずっと我慢して家にいたし…!!!」と、過去のことまで引っぱり出して「自分がいかにがんばっているか」を盛大にプレゼンしたくなるものだ。

たとえば仕事のシフトのように、「◯時間働いたから時給○円のお給料をもらう」といった具合にはいかないのが育児だ。一方が仕事に出ている間に、もう一方が子どもの相手をする。それはどちらも必要なことで、どちらも尊いことであることは、お互いにわかっている。

ただちょっと疲れていただけ。
ただちょっと喜んでもらいたかっただけ。
ただちょっと、心より身体が先に行ってしまっただけ。

こういうときにお互いにかけるべき言葉は「いつもありがとう」だけでいいはずなのに、頭ではわかっているその言葉がどうしても出てこない。

時代はGive&Takeではなく、Give&Giveの時代だと感じる今日このごろ。
Giveの大元は、モノをあげたり何かをしてあげること以上に、感謝の気持ちを示すことなのではないかと思っている。そういう意味で、わたしはまだまだ修行が足りてない。

落ち込みすぎて、久しぶりに大泣きして眠りについた昨晩。今日は娘の3才のお誕生日会だというのに、なんともモヤモヤとした朝である。

「ままならないことを自己受容することが、成長につながると思うんだよね」。私の暗い空気を察した夫が、ボソッとそう言う。

あぁ、こんなときは音楽に助けてもらおう。そう思ってフと聞きたくなったのがこの歌。


「いろいろあるけど、それでもぼくらは一緒にいるほうがいいよ。それでも僕のなかでは、愛が答えだから。」

ーJack Johnsonー





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