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長井亜紀『句集 すみれ』(青磁社・令和4年)

みなさま、こんにちは。
今日は句集にしてみました。

本書は、2022年5月に甲状腺がんで亡くなった「古志」同人 長井亜紀さんの遺句集です。
今となってはどこで本書を知ったのか記憶が定かではありませんが、すぐに青磁社の永田淳さんに連絡して送っていただいたものです。
永田さん、その節はありがとうございました。

著者の長井さんについて、私は多くを知りません。ごく限られた情報です。
巻末の文章によると、長井さんはがんによる入院と手術を繰り返しながらも、せめて子どもたちが大きくなるまでは一緒に生きていたい…と願い続けていたといいます。
本書に収められているのは、がん発病後の句です。

そのときは菫となりて君のまへ

長井亜紀『すみれ』

本書のタイトルになったと思われる句で、本書の最後の句でもあります。
作者の作句背景を思うと、さまざまな思いが胸のうちに去来します。
実に味わい深い句で、菫という小さな花に託した作者の小さくない思いを私たちも感じることができるでしょう。
「そのときは…」というさりげない初句もいいですね。

私はまもなく逝ってしまうけれど、いつか菫の花になってあなたに会おうと思うの…その時まで少し待っていてね。
解釈に正解はないけれど、私はこのように読みました。夫に語りかけるように、子どもに諭すように。長井さんは静かであたたかみのある句を残されました。

春立つや水細うして筆洗ふ
点滴のいのちのみづの滴れり
桔梗やうごかぬ指のいとほしく
花ふぶく花のいのちの澪つくし

長井亜紀『すみれ』

いくつか好きな句を引いてみました。作者の確かな観察眼が光ります。
「水細うして」を読むと、物事をいかに把握するかという点が短詩系文学の命なのだなとしみじみ実感します。
また、「みをつくし」という言葉も花という語と響きあって儚く美しいイメージを立ち上げることに成功しています。一般的には、「澪標」とは水路標の意味ですが、周知のとおり殊に詩歌においては「身を尽くし」にかけて用いる語でもあります。花のいのちに病床の作者の命が重なって見えるようです。


紅椿はわが恋の色くちびるに
日をあびて木の実のなかで眠りたし
どこまでが空どこまでが海夏の恋

長井亜紀『すみれ』

このような句に接すると、俳句は季語を得て無限の広がりを見せるものだとつくづく思います。言われてみれば「紅椿」がぴったりだと思うし、「木の実」の中の安心感はなるほどと腑に落ちます。「夏の恋」の句は、空と海を配して広大無辺な空間のひろがりが気持ちよいです。春でもなく秋でもない、夏という季節がぴったりですね。

夕立や小さな傘を傘に入れ
手袋と手袋の手をつなぎけり
夫の手と我が手をつなぐ入学児

長井亜紀『すみれ』

母としてのしぐさ。子とともに過ごす時間。
もはや煩わしい解説は不要でしょう。
日常という有限の時間を思います。

句集を読む愉しさと充実感を思い出させてくれた本でした。

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