見出し画像

日々コレ「心」の成長

「日々是好日」(ひびこれこうじつ)という言葉がある。

「にちにちこれこうじつ」他、読み方は複数あるようだが、「ひびこれこうじつ」という読み方が私には馴染む。

この言葉は、「今日の日が素晴らしい一日となるよう努力する姿勢」について説いた禅の言葉であるという。

「日々是好日」から転じて、「日々コレ成長」を意識しながら生きている。

「今日の日が成長の一日」となるよう努力したいと考えるからだ。

毎日が修行だ。

少なくとも、修行のような気持ちで過ごしている。

けれども、つい自分に甘やかしたくなってしまう。自分が修行をしている身だということを忘れてしまうのだ。

甘やかしの気持ちが、何かうまくいかないことの「原因や理由」を自分以外の何かに探そうとしてしまう。だがそれは、成長の好機を自ら逃してることになるだろう。

もし、自分の中の問題として受け止め、消化することができれば、人生の修行となり得る。いわゆる、成長の好機となるのだ。

もちろん、「自分が悪かった」と一方的に反省することが成長なのではない。

状況の受け止め方や心の持ち方の方向性を求める姿勢も成長の形。避けようのないトラブルだったと「頭で理解する」ことも成長のひとつだろう。

ところが、修行中の身であることを忘れると、ついウッカリ「誰かのせい」「他の何かのせい」にしたくなってしまう。

つまり、目の前にある問題、即ち、「心がささくれ立つような出来事」に対して、「誰かが自分を傷つけようとしている」と受け止めてしまうのだ。

だが、一歩下がってみると状況は別のモノに見える。

「心がクサクサするような出来事」に対して、「誰かが自分を成長させようとしている」と受け止めることもできるのだ。

もっとも、心の成長に繋げるとはいえ、「受け止める」にも限度がある。

場合によっては「傷つけてやろう」と故意にトラブルを持ちかけてくることがあるからだ。そういう場合は、内面の成長に繋げることは考えず、「拒否する・逃げる・隠れる」という道を選ぶ必要がある。

毎日が修行だとはいえ、目の前にある問題の根底にあるものをサクッと見極めることが最優先。

その上で、問題の根底に「悪意」を感じなければ、自分の成長の好機として心の持ちようを意識できればよい。

目の前の問題に取り組み、心の成長に繋げていくこと。

成長は、心の中で起きている。

心の成長は、ただ過去の問題に囚われていることではない。

むしろ、目の前の問題に取り組み、「ささくれ立った心」に対処し、気持ちを鎮め、そしてまた心新たに明日を迎える。

一日一日が成長の好機。

一日一日に問題が発生する。だからこそ、今日の「ささくれ立った心」は今日限りのものとして手放そう。

日々コレ「心」の成長を意識しつつ。