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【エッセイ】誰も知らない

僕のことを知っているだろうか。僕は有名人ではないので、世の中の大半の人に知られていない。せめて、家族や一部の友人くらい。人数にして世界で数十人程度だろう。

僕が何やっているか知っているだろうか。アロハシャツを着て、カフェでメモを片手に何か考え事をしている僕を。海辺でどこか遠くを眺め、ひたすらボーッとしている僕を。

僕がどこにいるか知っているだろうか。ある日はタイ・バンコクのカフェ、ある日はニューヨークのバー、またある日はミャンマーで行き先もわからない電車に乗っている。

僕がどこで何をしているか、何者なのかなんて、僕しか知らない。友人や家族でさえ、知らないだろう。僕が逐一、「どこで何をしているのか」報告していれば話は別だけど。

少なくとも僕はこのエッセイを書いている。そしてあなたがこの文章を読んでいる。これだけは事実。あなたにとって、僕は「世界のどこかでこのエッセイを書いている人」である。

エッセイを書いていること以外は、僕がどこで書いているかも、僕が何者なのかも、あなたは知らない。

僕はニートかもしれないし、実業家かもしれないし、作家かもしれない。はたまたロシアのスパイかもしれない。誰もわからないだろう。この言葉だけが事実として確かにある。

「いや待てよ。」

そもそも、このエッセイを僕が書いたなんて、誰が証明できるだろうか。AI(人工知能)が書いたかもしれないし、ゴーストライターが書いたかもしれない。

そう考えると、このインターネットの世界は事実のようにみえて、事実ではないことがほとんどだ。あなたが僕のことを知らないように、あなたも僕もまるで何かがそこにあるかのように「虚像」に日々踊らされてている。

あなたはこの世界の何を知っているのだろう。あなたは誰も何も知らない。「知っていると思っている」にすぎない。さてさて、僕のエッセイをここまで読んできたが、僕について何かわかっただろうか?

この文章から何かしらイメージしているかもしれない。そして、あなたの中で「僕」が形成されていく。でもそれは、「あなたの中の僕」であって、「本来の僕」とは距離が離れている。

僕のようで僕じゃない。誰も知らないのだ。

僕の手掛けたサービスを使っているかもしれないし、僕をSNS上で見かけるかもしれないし、僕と旅先ですれ違うかもしれない。僕のプロデュースした飲食店で「『誰も知らない』読みましたよー。」と言ってくれたら、割引するかもしれない。

僕のことを誰も知らない。世間から置き去りにされた、この世界で。




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