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日常が非常に変わる瞬間

今まで当たり前と思っていたことが違ったことに気づいたという話。
今朝、肢体不自由児3歳8か月11kgの息子とベビーカーで出かけようとしてエレベーターを降りようとしたところ

「点検中」


の看板。

信じられない。
療育に急いで行こうとしていて、時間がないシチュエーションだったので、選択肢はなく、階段で降りるしかない。
療育用の荷物と、保育園の荷物、自分の荷物、息子足の装具、ベビーカー、そして息子自身をよっこらせと抱っこして一気に駆け降りる。

4階ほど降りると腕がパンパンになり、それ以降の階段はベビーカーを持ち上げることはできず、引きずりながら降りた。

その時点で、療育へのモチベーションは急降下。
そんなことも露知らず、当の本人である息子は階段が楽しかったらしく、降りたとたん泣きだした。

泣き出したいのは母ですよ??

でも実はこういうことって、車椅子ユーザーや体の不自由な人やその家族を持つ人にはよくあることなのではないだろうか?とふと思った。
普通なら気づかない、ちょっとアンラッキーなことは、そういうハンデがある人にとってどれほどの不幸なのだろうか・・・

そして、例えばこういう時、夫にラインをしたとしても、
1.仕事が忙しく既読スルー

運よく返事が来たとしても
2.高田純次の音声入り軽いスタンプor「それは大変だったね」
くらいの軽い返信だろう。

療育に着きしばらくして、理学療法士(PT)さんにエレベーターの一件を話すと、その後、息子の療育で身体を使ってする遊びはすべて母に代わってやってくださった。
些細な事なのだけど、それで、心のバランスを保つことができた。

先日も、就寝前に洗濯機が何度も止まり、試行錯誤の中で、糸くずフィルターを掃除しようとすると、水が出ないことに気づいた。断水。
マンションのポンプが故障して、全居室水が止まってしまっていた。

水が出ないことの不便さったら、ない。
あまり経験したことがないことだったけど、何をするのも実は水を使っていて、出ないことを知っているはずなのに、1時間半の間に、何度蛇口をひねったことか。

夫にラインをすると、自分がお風呂に入れないことばかりを気にして、緊急で電話しろ、やれ管理会社だ、やれ水道局だと続々と指示が飛ぶ。

そこで、初めて知ったこと。

夫は「しずかちゃん」だったのか・・・・
銭湯の場所を伝え、子供と共に就寝をしたのだった。

こうして、立て続けに「日常が非常に変わる瞬間」を体験した。
当たり前のことが当たり前ではなくなると、急激に、当たり前のことが素晴らしいことに思える。

それは、普段は何でもない当たり前こそが「幸せ」だということに気づかせてくれる瞬間なのだ。

大げさだけど、風邪を引いたり、湿疹が出たり、口内炎ができたり、腰痛が悪化したり、そういう場面で、健康って素晴らしいなと思ったことがないだろうか?

もっと言うと、病気もそう。
健康どころか、生きていること自体が当たり前ではなくなる。

そして、障害児を産んで思うこと。

歩けたり、話せたり、食べれたり、
見えたり、聞こえたり・・・・、それらの全てが当たり前なんかじゃない。

今一度、当たり前に感謝をしよう。
エレベーターは使えなかったけれど、今日一日が、楽しく幸せに満ちた日だったことに、ありがとう。


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