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言葉の影に輪郭を与える人でありたい

 光と影の関係性が好き
正反対なのではなく、表裏一体、相互補助の関係
お互いになくてはならない存在
光があるから影ができ、影があるから光が際立つ

どんなことをして人生という一度しかない大切な時間を使いたいか永遠に考えているが、いつも適切な表現が見つからないで終わる。
でもさっき、ちょっぴりいい表現を思いついたので、書き綴る。

 私は、言葉の影に輪郭を与えられる人でありたいと思う。
光と影の関係性と、ヒトという生き物の心理について関連することがいくつもあり、この表現がいいなと思ったのだ。
それぞれについて、書き綴りながら整理してみる。

 影とは、ある対象物に光線が当たった時に遮られる、光の当たらない部分のこと。
 光は明るく影は黒くて暗いイメージがあり、正反対の関係性かという考え方もあるが、私は相互補助の関係だと思う。切っても切り離せない、両者が存在するから片方の存在を認識できるようになる。
光の当たる部分をより際立たせるためには、影の存在が必要不可欠なのだ。

 影は光の当たる対象物の、光の当たらない部分。対象物を、ヒトが発する"言葉"とするならば、影はその言葉の見えない部分、"背景"にあたる。
言葉はその人の頭の中で渦巻く数々の思考や感情から出された最終生産物であるが、生産されるまでにいくつもの工程がある。
「ありがとう」という言葉にはただの感謝だけではなく、昔はムカついたけどその言葉があったから今の私がいるんだ、というような背景・ストーリーがあるとする。
現状をつくるきっかけをくれた感謝、昔の自分へのさよならを告げる清々しいした気持ち、言われた当時のムカついた気持ち、これからの未来に対する希望、いろんな感情が時系列ごちゃ混ぜで頭の中で渦を巻き、最終的に出てきた言葉がたったの5文字「ありがとう」だとする。

 私は、ただ具体的な形となって顕在化されたありがとうに注目し、ありがとうという形で捉えたくない。むしろ、その言葉が生産されるまでのプロセス、背景に注目をしたい。
そして、ありがとうのもっと生々しい意味を知りたいし、その重みを感じたい。

 言葉を発するということは、何かを伝えたいという欲の表れなのだ。その何かがなんなのかをちゃんと認識してあげないと、真の意味でのコミュニケーションは取れないのではないか。
そのためには、その言葉の本当の意味や質感を捉えることが大切だと思っている。
つまり、言葉の影(背景)を、より浮き彫りにして捉えてあげたい。

 影は注目されづらく、ぼやける。煌びやかな、表に出るようなわかりやすい存在に、ヒトという生き物は注目をする。見えるものが全てだと思い、表面がその対象物の全てだと思う。本人も他人も含め、そうしてしまう傾向がある。
 また、影の部分は往々にして複雑でありネガティブな感情を伴うことも多く、注目するのに労力がいるのだ。向き合うのに覚悟も必要だ。(だから影にもなるのだろう)
 影がはっきりあることで、より対象物(ヒトが発する言葉)の存在が際立つことになる。
輪郭を浮き彫りにすることと、影の色をより濃くすることで、はっきりさせられる。
どんな形なのか輪郭を知りつつ、ドロドロとした生々しい部分含め知り、深みのある濃い色を出してあげたい。
そうすることで、光のあたる面の部分がよりはっきりし、確固たる存在になるのではないだろうか。

そう思うと、光の当たる部分より影の部分が愛おしく思える。
昔から影や裏が好きな理由は、こういう感覚をもっているからなのだろう。
労力が必要だからこそ、そこを表現するんだという意志や、適切な表現ができるような技術、表現の幅、を広げていきたいと思う。

 そんなことを、光と影の関係を調べながらやりたいこととリンクさせ、書き綴ってみた。

みんなが注目しないからこそ、価値があるんだ。気づいたヒトがやらなくちゃ。

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