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サンフランシスコの麻薬タクシー

サンフランシスコでタクシーに乗った時のこと。

アパート前のストリートで手を挙げてイエローキャブに乗り込んだ私は、若い白人のドライバーに目的地を告げた。目的地までは30分のはずだった。

キャブは走り出した。白人のドライバーは上機嫌に鼻歌を歌いながら、荒っぽくハンドルを切った。そして、ハンドルに右手をひっかけたまま、あろうことか体ごと後部座席を振り返り、私に向かって「シスコの町を観光させてやる」と言ったのだ。嫌な予感がした。ドライバーの目つきは、あきらかに普通の落ち着いた状態の人間のものではなかった。

ラリッているのだった。タクシーの中にはマリファナなのかコカインなのか、私には判別できない甘い香りが充満していて、気分が悪くなり、そっと窓を開けて外の空気を車内に入れた。

「大丈夫だよ。お金は取らないから」

そう言うとドライバーは私の返事も聞かずに、曲がるべき道を勝手に直進し、観光案内を始めたのだった。
私は、恐怖が半分、好奇心が半分の気持ちだった。怖い気持ちは確かにあった。けれどドライバーのハイテンションな状態は尋常ではなく、ここまでラリった人はかえって悪いこと(たとえば、人気のない倉庫の裏で車を止めて私を殺すとか)などはできないだろうと、私の直感が判断していた。私はただ、ドライバーのハンドルの赴くまま、車窓の向こうでサンフランシスコの景色がすごい速さで動くのを眺めていた。

植物園、ゴールデンゲート・パーク、チャイナタウン、ケーブルカーの発着所、高級ホテル、ロンバード・ストリート。ドラッグに侵されたドライバーが操るイエローキャブは多くの坂のあるストリートを疾走した。

その間、ドライバーはキャブ同様、止まることなく饒舌にしゃべり続けた。ドラッグのせいでテンションが上がり放しで、沈黙できないのだ。「ここは植物園だよ」「ここはゴールデンゲート・パークさ」と、見ればすぐに分かる意味のない観光解説をしてくれる。面白いのは、そんな解説の合間に彼がひっきりなしに口にするのは、意外にもポリティカルな話題であったこと。政治家への怒り、911から続いているイラクやアフガンでのテロに対する怒りや、米軍への不信感、1パーセントの富裕層がアメリカの富の大部分を占めていることへの怒り。聞いている私は、なんだかこの人、狂っているのかマトモなのか分からないなと思ってしまった。黙って乗っているのは辛いので、私も適当に相槌をうったり、話を合わせたりした。幸運だったのは、目的地への待ち合わせ時刻よりもだいぶ前にアパートを出発していたことだ。早めに着いて、カフェでひとりお茶でも飲もうと思っていたから、予期せぬドライバーの観光案内に遭っても、まあ、遅刻の心配はない。車窓の風景は変わり続け、やがて私は少し不安になってきた。

「この人、私が告げた目的地、覚えているかしら?」

意外にも、彼はちゃんと覚えていた。特徴ある赤い2階建ての家があることで知られたストリートでスピードを落とすと、通りの敷石にキャブを横付けにした。最後は、正確なハンドルさばきだった。人が正気を保つか失うかのドラッグの境界線とはじつに興味深いものである。

「5ドルでいいよ」

ドライバーは満面の笑みを顔じゅうにたたえると、そう言った。先ほどとは打って変わって私はぞっとした。これまでの走行距離を考えたら、どう考えても5ドルのはずがない。ハンドル脇についているメーターは「100.50」と赤いライトの表示を灯していて、私はそこから値切るつもりでいた。

「言っただろ? 僕は、お金は取らないよ。資本主義に反対しているからね。貧しい者からカネを巻き上げて、富める者を肥やす資本主義というものに、僕は心底、嫌気がさしているんだよ」

テンション高い早口でドライバーはそう主張すると、あろうことか、メーターの小さなボタンを指先で押すと「100.50」を一瞬で消したのだった。

「ありがとう。私も資本主義には大反対だわ」

私はそう言って、財布から5ドル札を取り出すとドライバーに手渡した。チップも渡さなかったが、気にしている様子もない。私は自分の調子良さに自分でも呆れたが、もはやこの状況を楽しんでもいた。ドアを開けて敷石に足をかけると、アヴェニューに出た。背後でイエローキャブが去っていくエンジン音が鳴ったが、振り返りはしなかった。サンフランシスコの町を一周したこれまでの道のりや、ドライバーがしゃべり続けた政治の話を思い出すと、笑いがこみ上げるのを必死でこらえた。そして、あんなドライバーを雇っているタクシー会社は気の毒だなと考えると、今度はため息が漏れたのだった。

カジュアルに大麻を吸う社会ならではの体験だったと思っている。

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