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⭐️【挫折】とか【劣等感】とか 修(仮名、長男)の場合

※ヘッダー画像は #もときよりお借りしました
いつもありがとうございます


先日、「進(仮名、次男)の場合」を書いたんだけど、思い出したエピソードがあるので書いてみる
大学入学後のこと、そもそも大学には希望も志もない進
大学独自の奨学金(返済不要‼︎)の情報に小躍りする母と、手続きが「面倒くさい」進
よりによって選考面談日は講義がない日、わざわざ大学に行くのは「面倒くさい」
もういいよ、バイトも頑張ってるし大学くらい母の稼ぎで通わせてやる‼︎
……と思ったら黙って面談に出かけたらしい
(私は出勤していて知らなかった)
駄菓子菓子‼︎
申請書類に捺印をひとつ失念していたのを指摘され、スゴスゴと帰宅
えーっ‼︎百均でも売ってる名字なのに‼︎
いや名字は売ってない、判子だ‼︎
判子ひとつ押せば申請できたのに……
と母が知ったのは帰宅後のこと
行くって知ってたら、書類の確認くらいしたのになぁ、残念ったらありゃしない
「判子くらい駅前にでも買いに行けば良かったのに」と言ったら、案の定「面倒くさい」やっぱりね
私大の授業料が浮く筈だったのに‼︎と思うと悔しい、寧ろ知りたくなかったよ


上記エピソードを本編にも加筆しました
⤵️


*****************


長女とは1年7ヶ月、2学年違いの修(仮名、長男)は全身が体脂で覆われたガリガリの赤ん坊
自力で母乳を飲めず(吸い付けるし、吸う仕草はできるのに)、哺乳瓶の乳首コレクターか?というほど買い集めて試したけど、どれもダメ



生後1ヶ月ってぐ〜んと体重が増える筈なのに、退院時より減少していて検査入院
お腹を空かせて四六時中泣いている修と、小児科病棟の小さなベッドでふたりきりで過ごすのは地獄のような時間
私だってひもじいのにと泣きたかった
あれ?母の挫折⁇



各科の検査では治療を要する疾患は見つからず、「3才まで育てるのに苦労しますよ」という言葉に見送られ1週間で退院
それはそれは、素敵なはなむけの言葉をありがとうございます
希望が持てますことでしてよ


医師と看護師の目から自由になった私は、修にスプーンで授乳
「そんなの無理に決まってる」「離乳食開始時でもスプーンを嫌がることがある」と散々言われたけど、その人達が手伝ってくれる訳もなし
とにかく目の前の鶏ガラのような赤ん坊を育てねばならぬ



初めはスプーンで唇をこじ開けて、極少量で舌を湿らせる
次はほんの少量をゆっくりと流し込む
慣れてきたら、誤嚥に気をつけてスローテンポで繰り返す
飲める、飲める、非効率だけど飲める‼︎
おい修、君は母の乳首よりも金属のスプーンの方が好きなのかいっ‼︎



ガリガリでキーキーと癇癪を起こすように泣き喚く修には、他人は勿論のこと祖父母すら「可愛いね」とは言ってくれない
育てやすいか?と問われれば、物凄く育てにくい
1才で100ピースのパズルができた
絵本を読み語っているうちに、教えなくてもひらがなとカタカナが読めるようになった
良いところもあるのに、他者の目からは見えない
あれ?また私の挫折か?



旺盛な好奇心を自分でセーブできない
多動で、考える前に走り去っている
何でも触り、何でも壊す
例えば、通院すると高価な医療機器を勝手に触り「何千万すると思ってるんだ‼︎」と医師から怒られてしまう……
(壊してません)
集団生活は難しそうで、幼稚園には行かず、母とふたりでいろんなお出かけ&体験
勿論、幼い修に提案して説明して確認して了承を得た、覚えてないだろうけどね
お弁当を持って動物園に行ったり、クッキーと紅茶を持ってハイキングしたり……


当時は全くポピュラーではなかったけれど、ADHDではないか?と気づけたのは、新聞記事だったか?
余りにも修にマッチしていたから
何ヶ月も先の小児精神科予約を取って、診察、検査、テスト
世の中の理解は現在の比ではなかった
父親(元夫H)ですら「ウチの筋ではない」なんてことを平然と言っていた



残念ながら全学年ではなかったけれど、小中高とも担任が「大当たり」
「配慮が必要な子どもだ」ということは学年初めに担任に伝えておいた
友人に恵まれたことにも有難く思う
「友だち?居ませんけど、それが何か?」と嘯く母とは大違い



素行の悪い子とスーパーでウロウロしてた
野原で拾ったライターで遊んでた
授業中に教室から逃げ出して校庭の柘榴の木に登っていた(用務員さんが帰りに柘榴をくださった)
ふざけて鉄棒から落ちて頭を打った
鬼ごっこをしていて他所のマンションの防護ネットに落下、弁償した
自転車で低速の車と衝突し、近隣の方が知らせてくださった
夜の深い時間になっても友人の家から帰宅せず、車で探し回った
夜中に家を飛び出し帰宅せず、警察のお世話になった
雨の日、自転車で転倒し救急搬送された
キャッチボールで学校の大きなガラスを破損し弁償した
命があるのが不思議と思うようなことを次々としでかす



母としてはどれもヒヤヒヤ案件
父親は修を嫌い、修に理解を示してくれないのが辛かった
夫に対して、思い通りの子どもではないというだけで自分の子どもをこんなに嫌えるものなのかな?と考えるのは悲しかった
Hとの溝は、このときにでき始めていたのかもしれない
ふと3人の子どものうち、私の手元に1人だけ残るとすれば、修ではないかな?という気がした
ADHDであっても、育てにくくても、私なら修を理解できるんじゃないか?なんて傲慢なことを考えていた



小学1•5•6年、中1•3年、高3の担任は
「頭の悪い子ではない」「性格が悪いのではない」「環境を調えれば良いだけ」「向いてることをさせれば伸びる」と、理解を示してくださり、母は大いに救われた
恐らく修本人は、親ほどは挫折とも劣等感とも思っていなかっただろうけどね



中学途中から、髪は切らないし爪を切らなくなった
多感な年頃なのにとヤキモキしたけれど、毎年バレンタインにチョコレートをくれる子が居たのは不思議
修の良さに気づけるなんて、神ですか?
当の修は「何かお返し買っといて」と母に一任
照れ隠しだったと信じたい



読書はするし地頭は悪くないらしく、成績を心配することはなかった(大して良くもないけれど)
進路の話し合いをしたくても、上手く言葉にできなくて気持ちが伝わらないことに苛々する修
直ぐに激昂するから進まない
壁にも扉にも修のゲンコツの痕が今でも残ってる
幸いなことに担任が志望校を聞き出して母に伝え、応援してくれた



併願の私学高に合格してからの修には、サボり癖がついた
中学の始業に間に合わなくなり、遅刻を重ねる
公立入試が未だなんだけど、もう調査書に関係ないと思っているのか?
取り敢えず私学には合格してるから、どうでも良いのか?
漸く卒業式を迎えられたときには、ホッとして脱力した



第一志望の公立高合格発表の日は、併願私学の入学金納付締め切り日
合格していれば、午後から入学説明会に行かなければならないし、不合格なら私学入学金を納付しに行かなければならない
昼まで待っても、合格発表を見に行った修は帰宅しない
恥ずかしさを我慢して中学に電話
「ちゃんと合格の報告に来ましたよ」
ホッとしたかって⁇まさか‼︎
入学説明会には本人も行かなくちゃならないのに一体どこにいるのやら……



高卒後は声優の専門学校に行きたいと言う
反対する気はサラサラない
恐らく父親は大反対するだろうから、その前に母を説得してくれ‼︎と思ったのに「解ってない」「大卒後では遅過ぎる」と言うばかり
それって説得じゃないからね
後年、母が反対したと言いがかりをつけてきたのにはつくづく閉口



高校時代は仲良し男子7人組
近隣には小学生のときからの友だちが居る
幼い頃から、感情の起伏が激しく「協調性がない」「人間関係に苦労する」と言われていたのに不思議
7人のうち修を含む3人が同じ大学に進むことになった
尤も1人大学入学を待たずに亡くなってしまった
高校は一緒に卒業したのに……

ヘッダーは何故か修ではなく進⤵️



髪も切らず、爪も切らず、朝も起きず、遅刻どころか学校にも行かず……
せっかく大学に合格したのに、高校卒業が危うい
中学卒業前のモヤモヤが蘇る
ADHDの特質か個人差か、約束を破る、時間に遅れるには慣れているけれど、卒業だけはしてくれよと母のエゴが渦巻く
このときも担任が親身に応援してくれた



通いにくい場所にある大学だけど、スクールバス乗り場は徒歩圏内
ラッキーと思ったのは最初だけ
スクールバスの時間に間に合わないと判ると、走ろうとまでは思わない
乗り遅れたら、公共交通機関を使ってまで行こうとはしない
声優の専門学校に行ってたなら、熱心に通学したのかなぁ?と頭をよぎ
口に出したら「そっちが反対したくせに」と難癖をつけられるだろうから黙っておくけど、反対してないし‼︎



3年に上がれず留年、通学できず休学、心機一転復学、やっぱり通学できず退学
大学でも個別に懇談があるなんて、初めて知った
三者懇談には2回呼び出され、丁寧にアドバイスしてくださった
母の心には響いたけれど、修には響かなかったらしい



父親は仕事を理由に、育児にも進路相談にも関わらなかったのに修を責めた
途中で投げ出したこと?
自分で選んだのに辞めたこと?
どれもブッブー
「一体いくらかかったと思ってんねんっ‼︎」
おいおい、息子の将来の心配じゃなくてお金の心配か〜っい‼︎
修の反応?
突っかかって行くか?と心配したけれど、父親より大人だった
「父親にお金のことなんか言われる筋合いはない」とすっかり冷めていた

Hは修のことが苦手?嫌い?だった



母の最終目標は子の自律で自立だから、大学を辞めたのなら就活してほしいと思った
修は大学時代から些細なきっかけで母と喋らなくなってしまったけれど、母が労災で大怪我をしたときは、黙って肩を貸してくれたし、通院のタクシーをとめてくれたし、枕元に飲み物と食べ物を置いてくれた
ウザイと思われているのは知ってるけど、母の話は聴いてくれているし、どうしても必要なときは達筆 ⚫︎ ⚫︎ なメモを書いてよこす
喋る方が楽じゃないかい⁇

コレクションのほんの一部
達筆過ぎて解読が大変
大丈夫‼︎
良い買い物ができたよん⤵️
断捨離しろよ、私‼︎


学生時代からのアルバイトを今もずっと続けている
職場での評判は頗る良い(らしい)
頼りにされている(らしい)
知らんけど……
アルバイトのお陰で髪も爪も切るようになった
だけど非正規、しかも社保非加入
当たり前だけど、国保と国民年金保険料は自己負担
一時期「私の扶養にしたら修も私もWin-Win」と考えたこともあったけど、「自立させる息子を扶養してどうする‼︎」と自分に言い聞かせてた
「お金と時間は趣味に使う‼︎」修は、生活サイクルも仕事も趣味中心


鶏ガラのような赤ん坊だった修は、今でも充分細いけれど「燃費ひくっ‼︎」とびっくりするほど沢山食べる
「人間関係で苦労する」と心配されていた修なのに、釣り友だち、コミケ友だち、食事に行く友だち、ゲーム友だち、小学時代からの友だち……
母よりよっぽど友だちが多い



劣等感を抱えたことは数知れず、世間的には挫折だらけ
口もきかない変な親子だしね
いつでも好きなタイミングで飛び立って行けば良いよ
母はいつでもいつまでも修の応援団なんだからさ




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