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現在の震災が直接の当事者ではない人のために ~外岡秀俊著『地震と社会 「阪神大震災」記』の薦め

 元日に発生した能登半島地震から1週間がたちました。被災された方はもちろんのこと、遠隔地の方でも、親類縁者が北陸にいる、職務等で災害対応に当たっているなどの事情がある方は、身に迫る心配の多い日々を過ごされていると思います。

 一方で、今回の地震災害と特に具体的な関わりはない方の中にも、日々の報道を見るなかで、不安や葛藤状態になっている方もいらっしゃるかもしれません。

 私は被災経験はありませんが、阪神・淡路大震災を経験した方々と関わる機会を大学時代に得て以来、毎年1月17日にはそうした方々とお会いしていることもあり、日々の報道を見ながら心を痛めているところです。

 昨年の暮れに古書店で見つけ、1月17日が近づく頃に読もうと積読していた本に、外岡秀俊著『地震と社会 「阪神大震災」記』(みすず書房、上下巻、1997-98年)がありました。

 年始の帰省先から戻って読んだところ、示唆に富む重厚なドキュメントでした。現在の震災について考えるためにも、現在の震災から一歩距離を取ることが可能な方にはぜひ一読をお薦めしたい本です。

 本書の目次は、次のとおりです。

〈上巻〉
序章 方法について
第1章 予知の思想
第2章 災害像が形成されるまで
第3章 もう一人、救えなかったか
第4章 崩れた神話
第5章 都市の履歴

〈下巻〉
第6章 避難と救援
第7章 復興への道
第8章 人の安全保障
あとがき
「阪神大震災」関連年表
巻末表・図版
書籍・論文・報告書名索引
人名索引

 著者は出版当時、朝日新聞の東京社会部記者で、のちに編集局長を務めるなど朝日新聞を代表するジャーナリストです。また、大学在学中に『北帰行』で文藝賞を受けた文学者でもありました。2021年に68歳で亡くなっています。

 阪神・淡路大震災の当時は週刊誌アエラの記者で、被災地での長期にわたる取材の成果が本書となったわけですが、この本のユニークさは単に阪神・淡路大震災のルポにとどまっていないことです。関東大震災の資料、戦後の地震予知や建築規制にまつわる資料などを掘り起こし、谷崎潤一郎『細雪』や古今東西の事件・伝承などからの引用なども織り交ぜながら、阪神・淡路大震災を、歴史の時間軸の中に位置づけようとしています。

 災害を記録することの意義の一つは、将来起こる災害への備え・教訓とするためです。本書の選んだ構成のおかげで、読んでいると、いま自分が生きている時間が「災後」であり「災前」であるという感覚が立ち上がってくるのです。

 ぜひその感覚を、巻末資料部を除いて約750ページにわたる大部である本書を読んで体験していただきたいと思います。それが現在起こっている地震災害を遠隔地の人間がどのように眼差せばよいのか、今後どのように長らく関わり続けていくかを考えるヒントになると思います。

 以下、印象的な記述をいくつか引用したいと思います。

 往々にして、私たちは「危機管理」を非日常の領域に押しやり、権限を専門家に集中させ、あるいは「危機状態」を白紙委任すれば問題はたちどころに解決するという幻想に陥りがちだ。だが、どのような専門家を集めても、その想定を越えたところに危機は発生し、その時に現場が利用できる資源は決まって、限られている。
 そうした事態に立ち至った時に、どこまで冷静に危機に対応し、情報を的確に分析し、行動を起こすことができるか。「危機管理」の本質が実はそこにある
 (中略)
 日常の「政治」が、限られた資源の分配を目指す個人と集団のメカニズムを指すとするなら、危機における「政治」は、明らかに違う原理に立たねばならない。その原理は、ある特定の「危機」に直面する個人と集団の生命・財産を守るために、限られた資源の最適の配分を目指すメカニズムである。

上巻91ページ

 なぜ阪神にのみ、戦後未曾有の被害が生じたのか。これを、近年に頻発するプレート境界型と区別し、内陸直下型であったことにのみ帰責することは当を得ていない。
 第一に、『直下型を想定していなかった』ことを防災の免責事由とするなら、それは形を変えた『天譴論』に他ならず、防災の不備にことごとく目を瞑ることを意味する。災害は、すべて『一回限り』という特性を持っており、その一回性に責任の不在証明を求めることは、防災の放棄に繋がりかねない。第二には、災害の一回性にもかかわらず、被害が生じる原因や態様には何らかの共通性がある。多くの場合は、既に過去の災害で明らかになった防災の弱点が、そのまま看過、或いは放置され、歪みが集中的に再現されることになる。こうして災害の『一回性』と、被害の『共通性』が切り結ぶ点を明らかにしない限り、震災の被害を正当に評価することは困難だろう。言い換えれば、震災の被害評価をする基準そのものが、災害の『一回性』と被害の『共通性』によって、精査されねばならないだろう。

上巻248ページ

 避難所がその施設の性格や規模、地域の特性によって大きく影響を受け、リーダーや運営主体もそうした下地のもとで出現するということだ。逆にいえば、避難所一般に当て嵌まる原則やマニュアルというものは存在せず、人々はその都度、知恵を絞って困難に立ち向かわねばならなかった。
 (中略)
 避難所での生活が長引く災害においては、「避難」と「救援」の関係や主体は次々に変化していく。(中略)避難者の「自律」と救援車の「退き際」をめぐって、深刻な葛藤が生じることが多い。
 こうした一連のプロセスにおいて重要なことは、あくまでその時々の避難所の「生活」を最優先し、外部からの「救援」をいかに効率的に組み合わせ、公平に内部に配分するか、だろう。「救援」の主体や内容、「避難」の主体やニーズは刻々と移り変わる。「自律」とは、柔軟にその両者の変化に対応し、しかも外部からの「救援」の減少によって、避難者の生活が悪化しないように工夫する「知恵」と言い換えてもいい。

下巻419~421ページ

 一口に「災害弱者」という時、私たちは「災害に遭遇した社会弱者」という像を思い浮かべがちだ。災害時には、ふだんからハンディを負っている人々が、いっそう劣悪な環境下に置かれる。だから率先して救援すべきだ、という考え方だ。しかし、「弱者」に対するこうした「思いやり」や「同情」は、それが成年の健常男性を基準とした「恩恵」である限り、救援に際しては容易に切り捨ての原理に転化する。
 地域のあらゆる人々が被災している以上、その救済はひとしなみに、満遍なく行きわたる必要がある。人々に最小限度の生命、身体、食糧を確保し、救援の増加と共に順次、その質を向上させていく。救援におけるこうした「平等」の原理の皺寄せを受けるのが、私がここで呼ぶ「災害弱者」の定義である。
 「災害弱者」は、いわゆる「社会弱者」と同一ではない。それは文字通り、「災害が作り出す」弱者であり、災害によって新たなハンディを負う人々なのである。例えば、障害者であっても、介護や補装具、生活用具、小規模作業所、デイセンターなどの拠点が整備されていれば、普通の地域生活を送ることは十分に可能だろう。もし避難所にこうした救援の視点と設備があれば、障害者は「災害弱者」ではなくなるはずだ。裏を返せば、障害者を「災害弱者」たらしめているのは、ひとえに救援における視点の欠落なのである。

下巻490~491ページ

 村井雅清氏が、「いわゆる“震災弱者”は存在しない」と発言したのは当を得ている。(中略)「いわゆる『震災弱者』といわれてきている人々は実は震災前からの弱者であるということである。例えば車いす利用の障害者や高齢者にとって日常的に車いすの介護者が最低限必要であるにもかかわらず震災前から充分な介護体制は敷かれていなかった」という。
 (中略)
 にもかかわらず本稿で私は繰り返し、「災害弱者」が「社会弱者」と違って、救援との相関で決定される社会的な概念であること、それは救援の質によって軽減されるものであることを強調してきた。
 それは、災害という非常時にあって、「社会弱者」への「同情」や「恩恵」が容易に切り下げられ、「だれもが困っている」という「大義」から、一律の平等が強制される恐れがあるためだ。実際には、非常時における一律平等の建前は、優勝劣敗の結果を意味することが多い。
 (中略)
 救援の質量が限られている以上、誰をも救うことはできない、というのは重い現実である。
 (中略)
 だが、かつて柳田國男が「人量り田伝説」という悪夢を、都市と農村の対立を越える思索の測鉛としたように、私たちも「優勝劣敗」という現代の「人量り田伝説」を、強者と弱者の利害対立を越える「忌避」の指針とする必要があるのではないだろうか。
 「災害弱者」の様々なニーズを予め防災計画で想定し位置づけること、弱者のニーズへの理解を深めることは、その第一歩だろう。平時から障害者を支援するシステムや発想が、災害時には様々な「障害」を経験することになる私たち自身の安全への手引きにもなる。さらに、「一律平等」の原則に立つ行政を補完し、ニーズに合わせた救援に取り組む民間団体や専門家集団を育成し、支持すること、地域の多様なネットワークを築くことが、防災にとっては何よりも重要といえるだろう。

下巻504~505ページ

 出版当時から、進んだもの、進まなかったもの、新たに浮かび上がったこと等々を思い巡らせながら、本書を読み進める2日間でした。



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