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私たちは決して青い血を流さない。

注釈:生理の話をします。気分を害された方はそっと閉じてくださいね。また、生理の個人差について否定する意図は一切ありません。


今日は、社会的にタブー視されている生理の話をしたい。

私は父親が大好きだ。いつもふざけている高田純次の様なおじさんで、新しいことに対して好奇心が強く割とバランス感覚の良い人だ。そう思っていた。
だけどそれはある日、夕飯の食卓を囲んでいる時だった。テレビから生理用ナプキンのCMが流れてきたとき父親は言った。

「こういうCM、ご飯時に流さないでほしいなあ。食事中に見ると嫌な気分になるんだよね。」

その言葉を聞いた時は素直に驚いてしまった。だって私たちには当たり前に必要不可欠な日用品だったから。
フラットだと思っていた父親の口から出てきた言葉であったのが尚更の衝撃だった。
そりゃあ血液を連想させたり生々しさはあれど、果たしてそれはナプキンや生理だけに限った話なのかな、と複雑な気持ちに至った。
私はこのとき、初めて生理への視線の違和感を感じた。
そういえば生理の話題って話し辛い空気があるし、男性の前では持っての他…これってなんでだろう。


ここでちょっぴり生理の歴史を遡ってみる。
生理は太古から、出血=死を連想させることから不吉で穢れだ、と されてきたそう。全世界的にね。
その期間の女性は不吉だから触れてはいけない、その期間に同じ食器を使うと死ぬ(酷すぎて逆に笑っちゃう)、そんな根拠のない言い伝えまであったそう。
江戸時代の日本も例に漏れず、生理の女性を隔離する月経小屋があったんだって。これも世界各国に見られるんだとか。
(パッドマンというインド映画を見ると、近代にも関わらず生理の女性を当たり前に隔離する風習にびっくりする。)


江戸時代から長〜いこと経って今の日本。
生理だからって小屋に入れられることは無いけれど、目を凝らせばかつての呪縛は無言のタブー視として現在にも残っている。その原因はなんだろう。

例えば教育現場。
私が保健体育で生理の授業を受けた10年ほど前には当たり前に男女は分けて行われていた。
少なくとも私以上の年齢の女性たちは、義務教育から長らく生理を男性の目から隠し、それが正しいと刷り込まれて生きてきたし、男性は女性から生理を隠されて生きてきた。
見せないように、見えないまま、両性ともに望まない努力を無意識に積み重ねて来た結果が今のタブー視に繋がっているのだと思う。
どちらが悪いのではなく、強いて言えば最初に生理を穢れと呼んだ人が悪いのだけれど。
(オモコロの「生理ちゃん」という漫画を読むと非常にこのことの重大性を感じますよ。)

例えばエンターテインメント。
ドラマや映画などエンターテインメントの世界で活躍する女性たちは常にクールでキラキラと輝いている。そして殆どの場合はその生理について触れられない。
生理が特筆すべきことじゃないからかもしれない。もっとドラマの中に生理を描けよ!!と言っている訳でも無いのです。笑
ただね、お風呂に入り、トイレに行き、性行為をする、ご飯を食べて、寝て、仕事に行き、遊ぶ、
そんな私たちの日常のひとつに、当たり前に生理も存在する。
生理は特別なことでも、やましいことでも、汚れたことでもない。
だから、ご飯を食べたり、お風呂に入るのと同じくらいの気持ちで、もっとフラットに生理の話題にも触れてほしい。
昨今のエンターテインメントでは全世界的に多様なトピックスが問題提議され、理解と議論が大きく広まっている。
その中で生理も話題にあがったならば、そこで多様な理解を生めたら、生きやすくなる女性は案外多いのではと思う。

「生理は個性」
少し前に、生理用品会社のロリエが生理のPRで炎上した。上記はそのキャッチですが炎上についてはさておき。笑
深堀りするなかで私は、
「生理は女性間でさえ大きく個人差のあることだから、性別に関係なく他者の現状を汲み取ろうとする姿勢を常に持ちたい」
というメッセージに心を打たれた。
生理を題材にしているけれど、これってきっと生理だけに限った話じゃ無い。
個人差のあることなんて驚くほどにいっぱいあって、むしろ人間は皆、個人差の生き物だと思う。他人とは違う父親と違う母親から生まれた訳で。
そんな違いだらけの私たちにおいて、他人の個人差と相対した時に、拒絶するのか、理解しようとする姿勢を持つのかで、その人の豊かさは大きく変わってくると思う。

他者を理解するのと同じくらい、自分に厳しすぎない視線も常に持ちたい。
女性は今まで生理を頑張って隠してきたから、今も頑張りすぎてしまう人が居るけれど、生理を起因とする諸症状に対して、決して人と比べて苦しむ必要は無いし、その苦しみを克服する行動をできるのは自分だけ。
辛いときは無理してニコニコする必要も、キラキラする必要もないのだと知ってほしい。


最後に、イギリスの生理用品会社が手掛けたCMを。youtubeで見れるのだけど、キャッチは「blood normal」

日本や多くの国では現在、生理用品のPRには経血を青い液体に見立ててプロモーションする。それが当たり前になっていて何の疑問も持たなかったけれど、この動画を見てハッとした。
そうだ、私たち女の子は青い血を流さないのだと。私たちは体に脈々と流れている赤い血と、その排出の周期と共に生きている。(かなりの個人差があり、一概になど言えないのだけれど。)
生理は私たちの生活の日常であり、決して穢れなどではない。死ではなく尊い生の始まりに繋がることなのだ。
ご飯を食べるのと同じくらい当たり前に大切であり、それをタブー視するのはもう止めにしたいな。

もちろん話す場合にはTPOを弁える必要があるけれどそれは何事においても同じことだと思う。
まずは行き過ぎたタブー視に疑いを持ち、私のできることから行動したい。


注釈
生理は人によって頻度、期間、症状とその重さ、そもそも来るも来ないも大きく個人差があります。それについて否定する意図は一切ありません。

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