「彼」

「彼」はいつも僕の前を走っていた。僕は無意識に「彼」を追いかけていた。好きな曲も勉強方法も料理の味付けまで、真似をしていた。「彼」への憧れの気持ちを、好意と間違えたこともある。

「彼」は、よく僕におすすめの曲を教えてくれた。「彼」は軽音楽部に所属していたこともあり、今まで聞いたこともないような歌手の聞いたこともない曲ばかり勧めてきたが、それらはどれも、僕の大好きな曲になった。そして、その多くの曲は、半年後くらいに世間を賑わすヒットソングになった。不思議な話だ。
たまに、先見の明がある人や、才能がある人を見つけるのが上手い人がいるというが、多分あいつはそれなんだろうと思う。

「彼」の長所は僕とよく似ていると思う。
自分で自分の長所を語るのも憚られるが、周りに気が配れるところ。ものごとを順序立てて考えられるところ。歌が上手いところ。とか。
長所だけでなく、短所も、というか性格が似ているのだと思う。
腹が立つと思ったことを言えなくなるところ。打たれ弱いところ。
性格が似ているからこそ得られる共感も多い。これが「彼」を僕が追いかけ、またずっと友でいられる理由の一つなのだと思う。
僕は同い年の人に上から目線でアドバイスや指南を受けることを嫌がるきらいがある。でも「彼」の言葉なら、素直に聞き入れることができた。それは単に【彼の言葉】だからではなく、その言葉が自分の中で腑に落ちることが多かったからである。
そういう人間に出会えた僕は幸せなんだろう。



年齢を重ね、いろんな人に出会う中で、全ての人に好かれることは不可能ということに気が付き始めた時、人は皆んなに好かれるための振る舞いを辞め、本当に大切な一部の人に気持ちを多くぶつけることが出来るようになるのではないだろうか。その時に、この人ならば自分の気持ちをぶつけてもいいと思える人がいなければ、皆んなに好かれる振る舞いを続けざるを得ない。それはそれで結構であるし、そうした振る舞いをするべき場面もあるから、それが不幸せであるとは言えないが、少なくとも僕は、自分の気持ちを、感情を、ぶつけられる相手がいることを幸せと感じるようになった。


「彼」のことはこれからも尊敬し続けるし、今の関係を続けていきたいと思っている。20を越えてもなお、友達として、あり続けるためには、互いのリスペクトが無くては成り立たないと思う。よっ友は自然消滅するというが、それはお互いのリスペクトがないからである。社会的ポジションや環境が変わるにつれて、今まで尊敬していた部分が必要とされなくなることもある。(例えば足が速いとか、お酒が強いとか)そうやって、そういう人とはなかなか会(合)わないようになるかもしれない。だからこそ、そんな人が多い中でも変わらずリスペクトできる何かを、持っている人と出会うことは、人生においてとても重要なことだと思うのだ。


自分は人からどう評価されているのだろう。「彼」にリスペクトされている部分はあるのだろうか。知りたくなる。でもそれを「彼」に質問する必要はない。そばにいてくれることが、その答えになっていると信じているから。



これからもそばにいてくれる人間を、大事に大切に生きていこう。

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