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最近気づいた自分の行動の矛盾

最近ね、気づいたんですよ。
書きたい焦りで握りしめた携帯やiPadには、何も残せていないこと。

追われる時間のなかで、とにかく思いついたら携帯にメモろうと握りしめた結果、何も浮かばないまま、snsや動画やメールなど、余計なものを見て、時間を浪費してしまう。

そしてさらに、頭を疲れさせてしまう、悪!循!環!

携帯おそろしい!

どうにかしたくて、この現状

だから、最近、その携帯を握りしめる代わりにクロッキー帳とペンと色鉛筆、持ち歩くし、そばに置くようになったら、結構いい

薄いけど下書き。ある表紙考案中

文章書き出すまでの考案の時って、わたしはあーでもないこーでもないとかひっくりまわしたり、ななめからみたり、やり直したり。それを頭の中でやっていた。

だけど、それの一端を紙に任せることにした。

そしたら、今まで、その考察が物理的にエネルギーを食ってたかもと実感した。

マルチタスクを背負わせていたかも。クロッキー帳に考察の記憶や文章の構築、アイディアを忘れないようにすること、などの部分を任せるだけで頭の疲労がやわらいだ。

タイトル考案中

それに、今までは携帯を握りしめるかiPadを側において生活して、頭でまとまるまで書けなかった文章が、とりあえず、クロッキー帳においておけることで何もしていない、という焦りからも解放された気がする。

考察も文字に残る。足跡が残る安堵感。

書きたい、書きたいけど、頭がもう疲れ切っていて、束の間できた時間はやすみたい。でも書きたい、書かなきゃ、このループから少し解放された。書かないと気持ち悪いのに、書く時間と脳のスペースがない。辛い。このループから少し抜けられた気がする。


表紙に使う絵の画像からの描きとり

ああ、頑張れわたし!
進めよ、少しずつ!

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