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3.11の緑屋根

11年前の今日、私は幼稚園を卒園したばかりだった。

そして小学校のある街へと引っ越す当日だった。

狭い灰色のアパートをさっぱりひきはらって、新しい家に住み始める日だった。

新しい家は真っ白な壁と深い緑の屋根の新築で、私は幼いながらに新しい家での生活にわくわくしていた。

曇った空の下。パパがアパートの鍵を大家さんに返して、家族みんなで車に乗った。新しい家には車で40分ぐらいかかる。

 なぁ、ママ、私小学生になるんやで。

  せやなぁ、いっぱい勉強してよ。

 うん、友達いっぱい作って新しい家でみんなで遊ぶ!

私とママが車の中で話していると、車に備え付けのテレビから急に聞いたことのない音が鳴った。ぴろりろりん、ぴろりろりん。大きくてトゲトゲして、嫌な音だった。

 ママ、テレビどないしたん?

ママは画面をじっと見つめて私の問いに答えてくれなかった。

  あかん、大変や。地震。めっちゃ大きい。東北で。

私は東北の意味がわからなくて、とーほくって何?と聞いたけど、またママは答えてくれなかった。

ママの言葉を聞いて、運転していたパパは見たことがない真剣な顔になって、車を道の脇に止めた。

ママとパパは不安そうな目で何か相談して、パパはまた運転を始めた。ママがやっと私の方を見た。

  あのな、今大きな地震が日本の上の方でおきてん。ここからは遠いから、多分大丈夫やけど、まだ何が起こるか分からへん。とりあえずお家に行こう。

私は2人の真剣そうな顔からただごとではない雰囲気を感じて、少し不安になった。

 ママ、ほんまに大丈夫?

ママは隣で何も言わず私の手を握ってくれた。

新しい家につくとすぐに、パパとママは可愛い緑の屋根に見向きもせず、中に入っていった。

新しいお家にはまだ最低限の家具しかなくて、私が思っていたよりがらんとしていた。フローリングがぴかぴかしていた。

パパはすぐにテレビをつけた。引越しに合わせて買った、アパートにいた時より大きなテレビだった。

テレビの画面に、ヘルメットを被った女の人が映って、真剣に何かを早口で言っていた。画面の周りが青く囲まれて、白い漢字がいっぱい並んでいた。

今、その青いスペースでは地震が起こった場所と震度を表されていたのだとわかる。

パパとママはソファにも座らず、立ったままテレビをじっと見ていた。

私はソファとテレビ以外に何もないリビングで手持ち無沙汰になって、とりあえずパパとママの真似をしていた。

状況がいまいち掴めていない私は、時間が経つとさっきの不安な気持ちが薄れてきて、退屈になってきた。

 ねぇ、ママ、暇ぁ。

  うん、ちょっと待ってな。

パパとママは依然テレビに釘付けだった。

 なぁ、ママってば。

ママの手を引っ張ると、ママは私の顔をじっと見つめたあと、私を膝の上に乗せた。

  あのな、ようテレビ見とき。これは大変なことや。たくさんの人がケガしたり亡くなってる。今の私らにはどうすることもできひん。だから画面見てこの景色を目に釘付けとき。絶対忘れたらあかんで。

真剣なママの眼差しに押されて、私はテレビを見た。

ヘルメットの女の人の画面からパッと変わって、街の風景が映された。私の家の周りと同じように曇っていた。

家が何軒か立っていて、電柱なんかも映っていて、普通の街だった。私は白い壁の緑の屋根の家を見つけた。

私の家と同じだ。緑の可愛い屋根。

画面の奥の方から、何かがじわじわと迫ってきていた。

その何かが大きくなるほど、迫ってくるスピードが速くなった。

薄墨色の水だった。私には水というよりは海が迫ってきているように思えた。のちにそれが津波だと知った。

薄墨色の海が街をざーーっと飲み込んでいった。

私はそんな風景を初めて見たから、何が起こっているのか分からなかった。どんどん海の面積が広くなっていく。

あっ。

緑の屋根が くしゃっ と崩れた。

すぐに潮に飲み込まれて見えなくなった。

うちと同じ緑屋根。もう見えない緑屋根。緑は潮に流されてどこに行くのだろう。

まだ新しかったその家には、きっと私たちと同じように、誰かが住んでいたのだろう。

どんな人が住んでいたかは分からないけど、家を建てるときに、うちと同じ緑色の屋根を選んだ人たち。

その人たちはもう帰る家なんてない。

私はこの気持ちを言葉にできなくて、世界一安心する場所なはずのママの膝の上で、心がただただきゅっとなった。


私は今も、あの緑色が崩れる瞬間を忘れられない。

あの日から11年経った今、多くの人の絶え間ない努力の甲斐あって復興が進んでいると耳にする。

でも、一度薄墨色の海に丸々飲み込まれて潮につかったあの土の上に、全く同じ緑屋根の家が立つことはきっとないと思う。

だから私はあの緑を忘れないでいたい。あの家は私の心の中に今も建っている。薄墨色にのまれる前の、つやつやした色のまま。

そこに住んでいた人たちの帰る場所をとどめるために。



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