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子どもが欲しいと思ったわけではなかった

はじめて「お母さん」と呼ばれたときのことは鮮明に覚えていて、それは役所に母子手帳をもらいにいったときのことだ。

夫が「子どもが欲しい」といい、自分の中でなんとなく覚悟が決まったあと、特に妊活に励むでもなく、ただただ自然に任せていたら、わりとすぐに子を授かった。

だから、「絶対に子どもがほしい!」と思っていたわけではないし、「お母さんになりたい!」と思ったわけでもなく。どちらかというとずっと、「こんな私なんかが親になんてなれるのだろうか?」「自分の人生すら、まだまだしっかりできてない自分が、他人の人生に責任を持てるのか?」と思っていた。

妊娠検査薬で陽性が出て、「えっ、もう?」と思いながら、産婦人科に行き豆粒がうつったエコーを見せられ、「母子手帳もらってきてね」と言われて、その足で事務的に役所に行った。

そんなふうにぼんやりしていたら、窓口の女性に「お母さん、おめでとうございます」って言われて、

「お母さん、って、わたしのことなのか?!」

嬉しいというよりも、自分のアイデンティティと、「お母さん」という言葉の微妙に噛み合わない感じに、「うわああ…!」って。

このぺっちゃんこな、昨日までとなんの変わりもない自分のおなかに、もうひとつ別の命が、ほんとうにあるのか。

やがてつわりがやってきても、「わあ、ほんとにつわりってあるのね不思議…(つらい)」と思ったし、おなかがふくらんできても「すげえほんとに膨らんでる(うつ伏せで寝れないつらい)」と思ったし、胎動も「うおー動いた!」って思ったけど、「わたしのかわいい赤ちゃん…」という感動というよりは、「わーすごい!」みたいな、純粋な好奇心のような面白がる気持ちに近かった。

なんならわたしよりも周りの人の方が、椅子を譲ってくれたり、重いものを持ってくれたりと、わたしをちゃんと「妊婦さん」扱いしてくれるのが、なんだかくすぐったく思った。

おなかに赤ちゃんがいることがわかった瞬間からかわいがったり、胎児ネームをつけて毎日呼びかけたり…みたいな気持ちには妊娠中ほとんどならなくて、そういうお母さんをインスタなんかで見るにつけ、「すごいなあ…!その母性はどこから湧いているんだろう、知りたい…!」って思った。(今も思う。そういう人と話してみたい)


…でも一方で、腹の中で、

そんな私みたいな「お母さん」でもいいんだ、っていう熱い確信はあった。


夫から「xxxまでに子どもが欲しい」と言われてから、自分の人生をどうしたいのかを考えて、「もしそこに子どもがいたなら、どんな親でいたいか」を考えて、考えて、考えて。

子どもの人生の責任は、子ども自身にある、と思った。

ただ傍らで、「生きるって楽しいよ」って、自分の人生を自分で考えて生きる存在でありたいと思った。

子どもってたぶん、同年代や年上のお友達とは、ちょっと違うかたちの、人生でたくさん関わることになる特別なお友達なんじゃないか、って思った。

この子がどんな子になるのか。どんなことを楽しいと思ったり、許せないと思うのか。そして私はどんな人で、どんなふうに人生を歩んでいくのか。それを、一緒に楽しんでいけたら。夫と一緒に、今まさに、それを楽しんでいるように。

なんというか、友達が欲しいかどうかにかかわらず、自然と友達と呼べる人と出会うことがあるみたいに、「自分の人生に子どもが欲しいかどうか」「絶対にほしい、だから作る」みたいな、コントロール可能な感じではなく、「もし子どもという形で新しい誰かと出会えたら、今とは違う楽しさがあるんだろうな」ってくらいの気持ちでいこう、そうしよう、と思った。

それが、わたしなりの「子どもを作る覚悟」だった。


夫がどう思っていたかはここでは置いておくとして、そんなわたしたちのところに、昨年7月、無事息子が生まれてきてくれました。

こんなわたしだけど、生まれたとき、「はじめまして、よく来たね」って思ったし、ぶわわわわーっと、それ以外の感情を押し流すような勢いで「愛おしい」って気持ちが湧いてきた。でも一方で、それを相変わらず「うわあ、赤ちゃんって、すごい力を持ってるなあ!」と好奇心のままにおもしろがってる自分もいる。自分の体から母乳が出て、それだけですくすく大きくなる息子を前に「うわあ、わたしって哺乳類だったんだな」とか。そういうのも、楽しい。


確かに、親が子に与える影響って大きいと思う。でも、人が影響を受ける物ってそれだけじゃないし、親ができることは、あくまで「はたらきかける」(意識的に+無意識的に)ことだけなのであって、「操作」できるわけじゃない。その子の人生は、あくまでその子のものである。
…なんなら、親であるわたしの方こそ、この子の存在によって、大きく影響を与えてもらえるのかもしれない。

そういう考えでもって、息子のいる日々を楽しんでいけたらいいなあ、と思っている。

今日、無事4月から保育園に預けることが決まった。息子が、新しい世界に触れに行くことが、嬉しくもあり、寂しくもあるわたしは、いつの間にか1年前よりもすっかり、「母親」になっている気がする。


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