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【掌編小説】ひまわり/セーブポイントの先で

 ひまわり

 花の絵を描いてくれと娘にせがまれたので仕方なくクレヨンで適当に数本描いた。
 「チューリップ?」
 娘が聞くので、そうと答えた。花と言われてもチューリップとバラくらいしか思いつかない。バラは描けなかった。消去法だ。絵は苦手だったので、メシにするかと腰を上げた。素麺を茹でる。やけに暑い夜だった。
 夏場の切り花は、一日しかもたないこともあるという。ばかばかしい。だから、家に花を飾る習慣はない。
 翌日。保育園の帰り、娘とスーパーに寄ると、一画にある花売り場で娘の足が止まった。
 「これほしい」
 娘はひまわりを指差す。
 「やめとけ」
 「なんで」
 「それ買うならお菓子買わないぞ」
 「ひまわりがいい」
 お菓子に勝るのは、アイスくらいだったのに、どうもひまわりが気になるらしい。こどもの興味はころころ変わってわからない。
 「絶対にお菓子は買わないからな」
 「うん」
 大容量のポテトチップスより高い買い物だった。明日には枯れると思うとげんなりした。
 娘はにこにことひまわりを見つめながら、自転車の後部座席に乗る。
 花瓶はなかったから、長めの丈のグラスに水を入れて挿してやった。それをテーブルの上に置くと、娘は満足した。
 「かわいいね」
 そうか可愛いのか。ひまわりはどちらかというと格好いいものだと思うが。ヴィヴィットな黄色は、一輪でもしっかり生命を主張していて、家の中を照らしていた。
 ひまわりは三日目の夜に元気なくくたっとして下を向いた。四日目の朝、娘を送った後に捨てた。夜、帰ってきた娘はテーブルの上の空白を見つめていた。
 「またげんきになるかとおもったのに」
 むくれて呟いた娘の頭に手を置いて言う。
 「げんきにはならないんだよ」
 「なんで」
 「根っこがないから、たぶん」
 「ねこ?」
 まあわかんねえか、と話の腰を折りメシの支度をはじめようとすると、娘が叫んだ。
 「またかってよ!」
 「おいおいもうじゅうぶんだろ、買わないよ」
 勘弁してくれ、と肩をすくめる。花が枯れると悲しいと、元気のなくなったひまわりを捨てる時思った。だからもう十分だ。
 「ちがうよ! かいてっていったの!」
 娘が怒ってクレヨンと紙を押し付けてくる。
 何だよしょうがねえな。黄色と黒、茶色を取って、ひまわりを描いてやる。
 「パパって、ひまわりもかけるんだね」
 娘の機嫌が一瞬で直る。一応描けるだろ、朝までそこにあったんだから。
 「これはねっこある?」
 おれは花瓶に生けたひまわりを記憶のまま描いた。
 「ないよ」
 娘は一転悲しそうな顔をして言う。
 「じゃあすぐにかれちゃうの」
 「枯れないだろ、絵なんだから」
 「なんで」
 「生きてないから」
 「いきるってなに」
 わからねえよ。こどもの質問は時に核心をついていて逃げたくなる。メシにするぞ。おれはそう言って娘に背を向けた。
 冷やしたトマトを切って皿に盛る。娘の気配はまだ背後にあった。ぎゅっと足にしがみついてくる。続きを待っているらしい。
 「ひまわりを買って嬉しいと思ったろ」
 「うん」
 「枯れて悲しかったろ」
 「かなしい」
 足にしがみつきながら娘は泣いていた。
 「それが生きるってことだろ」
 娘はズボンに顔をこすり続ける。
 「わかんない」
 「だからお菓子にしとけって言っただろ」
 花一輪で毎回こんな騒ぎじゃあ困る。
 「でもきれいだった!」
 娘が怒った。からだをばたばたとさせる。
 「きれいだったの!」
 もう聞こえないふりしかなかった。娘は止まらない。
 「きれいだった! きれいだった!」
 「あーもうわかったよ! それが生きていたってことなんだよ」
 「あーもうわかんない!」
 おれは振り向いて、娘の口に冷やしたトマトを詰め込む。
 「おいひい」
 娘が笑う。瑞々しさを味わうように、噛む。


 セーブポイントの先で

 「もし生まれ変わったら、また俺の子になりたいか?」
 なあ、エイタ。ハンドルを握った父ちゃんがおれに聞く。おれは手元にⅮSに夢中。
 おれはまだ八つだった。人生が無限に続いていくと思っていたし、ゲームのレベル上げみたいに、目の前のことしか考えられないこどもだった。
 助手席から、運転席の父ちゃんを見る。太平洋に反射する光がきらきらとして眩しかった。潮風がビュオォと車内をすり抜けていく。もうすぐ、着くぞ。父ちゃんが言う。
 どういうつもりで父ちゃんがあの質問をしたのか、いつもおれは考える。

 いつもの夢だった。
 おれは二十になった。父ちゃんが死んで十二年。
 黒のジムニー。シートを起こして窮屈にかたまった身体を伸ばす。コンビニでコッペパンと缶コーヒーを買い、口に入れながら車を走らせる。
 正直、生まれ変わっても父ちゃんのこどもになんて絶対なりたくなかった。ギャンブルと酒で母ちゃんからは見放された。容姿が父ちゃんに似ていて、頭も不出来だった俺もおまけみたいに手放された。そこからは絵に書いたような貧乏暮らしで。パチンコで勝った金で買ってもらったDS握って、いつも現実逃避してた。
 夢で繰り返す、あそこが最後のセーブポイントだった。
 その先を覚えていない。八つの時の記憶はそこで途切れていた。
 だからおれは、車を走らせた。ジムニーは大学生の友達に借りた。車を宿にしていることは内緒だ。
 
 「なあ父ちゃん。おれはここにいるよ」
 「生まれ変わって、でてきてくれよ」
 また父ちゃんのこどもに、なんて言えないから。思い出を何回も脳内で再生した。
 潮風が頬を撫でる。風景はあの頃と変わったのかもしれない。おれは大人になった。DSはスイッチへ。人生は続いている。
 海岸が見えて、適当なところに車を止めた。あの日も確かそうだった。
 海でも見るか、と言った父ちゃんに連れてこられた。
 父ちゃんの影を求めて十二年前と同じ場所に来たけど、まさか亡霊が現れるわけでもなく。海岸線は穏やかで、新しくなった道路や建造物が映えていた。空は晴れて心地がよかった。過去はゆるやかに解けて、おれは今、ここにいた。
 生き残った自分は幸せになっていいのか、ずっと悩んでいた。選択の数だけ人生があるらしい。吐き気がする。生まれ変われるんなら、生まれ変わりてえよ。おれは目を閉じて海に向かって祈る。
 大丈夫──。父ちゃんが言う。言ってほしかった。
 潮風が舞い、おれを強く抱きしめる。

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